空は、曇っていた。 ここ数日間、雲ひとつない天気が続いたため、太陽が見えないのは久しぶりの感覚だった。 窓を通してみる街も、なんとなく活気がない。抜けるような青い空が見えないとなると、人はたいてい意気消沈する。オーフェンもその例にもれず、体に気だるさを感じていた。起きて間もないため、よけいにそう思うのかもしれないが。 ぼんやりとした頭を手で押さえていると、部屋のドアががちゃりと開いた。 「あれ、お師様?今起きたんですか?」 「ああ」 金髪の少年を見ながら、オーフェンは適当に答えた。 「もうお昼ですよ。まぁ、特に用事がないのなら、何時に起きようとお師様の勝手ですけど」 言いながらマジクは、部屋の中をすたすたと歩き、大きな荷物をさぐりだす。 いま、オーフェンたちはたまたま見つけた街の、たまたま見つけた宿で休息を取っている。行きずりにしては、のんびりとした街と、居心地の良い宿だったので、数日間滞在することにした。これといった特徴のない街だったので、あえて何かを見物しようという気にはならない。 もっとも、クリーオウとマジクはそう思っていないようで、連日どこかへ出かけているが。 「クリーオウは?」 オーフェンは、目当てのものを発見したらしく、嬉しそうな表情の弟子に問いかける。 「彼女もどこか出かけたみたいですよ。部屋には、いる気配がなかったですから」 「ふーん」 クリーオウのことを聞いたのには、深い意味があってのことではない。彼女が毎日出かけているのも知っている。 一緒に旅をする人間の行動を知ることは、習慣のようになっていた。 彼は唯一部屋で動いているマジクをぼんやりと目で追っていた。 「あ―――」 と、部屋を出る一歩手前で、マジクが何かを思い出したような声を出す。 「どうした?」 「お師様、今日って何日でしたっけ?」 「今日?」 怪訝な声で聞き返しつつも、オーフェンは日付を思い出していた。 しかし、気の向くままに旅をしていたせいで、すぐには思い出せない。 「あー、そっか。今日ってもしかして……」 こちらがマジクの問いかけに答える前に、一人で納得する。 彼はリズムを取るように両手を何度も合わせていた。 「そうだ、たぶん……」 「なにが?」 さっぱり分からなくて、オーフェンが聞く。 「いえ、何でも。間違ってるかもしれませんし」 「なにが」 ひとりで合点したようなマジクに、再度聞き返す。 「あの、お師様。今日、もしクリーオウが何か問題起こしたとしても、あんまり怒らないであげてくださいね?」 「いや、だから何をだよ。しかも問題起こすって何だよ?」 「そうですねぇ……」 マジクが腕を組み、思案顔を作る。 「街中でけんかをするとか、お師様のサイフ勝手に持っていってほとんど使っちゃうとかですかね。ま、いつものことですけど」 「そんなことされて怒るなって方が無理があると思うぞ、俺は」 うめくが、少年は気にする様子もなく念を押す。 「いいですか?怒らないであげてくださいよ?」 そう言い残して部屋から出て行った。 「なんなんだ、マジクのやつ。しかも金がなくなるとか不吉なこと言いやがって……」 オーフェンは大きく嘆息しながら、ベッドから這い出した。 ベッドの脇に並べてあるブーツを履く。 「それに金がなくなっててもクリーオウを怒るなって。ならせめて理由くらい言ってけってんだ」 ぶつぶつとつぶやきながら、半ばあきらめた心持でバッグの中身を探る。マジクがそういうのなら、サイフがなくなっているのはたぶん確実だろう。それでなくてもクリーオウには頻繁に金を使われていた。 「……あれ?」 バッグの中の意外なものを見つけて、オーフェンは思わず声を出した。 「ちゃんとあるじゃねぇか」 皮製の黒いサイフが、彼の手の中におさまっている。 決して重くはないが、それでも少ない金額ではない。 「あー。まぁあるんだったらそれに越したことはねぇんだけどな。でもちょっと拍子抜けしたっていうか。こういう展開は考えてなかったぞ」 言いながら頭をがりがりとかく。 奇妙に思うが、別に悪い事とも思わないので、オーフェンは持ったままのサイフをズボンのポケットに突っ込んだ。 「んじゃ、朝飯―――えーと、昼飯でも食いに行くか」 ひとりごちて、彼は簡単に身支度を整えた。 ** ** ** オーフェンは街中にあったベーカリーショップで、パンをいくつかと飲み物を購入した。それらを全て袋に詰めてもらう。 天気は良くないが、気候は悪くないので外で食事を取ることにした。 ここへ来る時に見つけた、街の少し離れた川の付近―――堤防に登る。 パンの入った袋を抱え、少し高くなった位置からぐるりと川を見渡す。 彼の予定ではこのあたりには誰もいないはずだったのだが、どうやら先客がいるらしい。 もう見慣れた、長い金髪のうしろ姿。彼女の近くには黒い塊が転がっていた。 「クリーオウ」 呼ぶと、彼女がこちらを振り向いた。驚くこともなく、ただオーフェンを見つめてくる。 彼はゆっくりとクリーオウに近づいた。 「何してんだ?」 聞きながらオーフェンは少女の隣に腰をおろす。 「うーん。別に何もしてないわ。ただ、ここに座ってただけよ」 「ふーん?」 あっさりとしたクリーオウの返事に、オーフェンはあいまいに相づちを打つ。 彼女が何も話しかけてこないので、それきり会話が途絶えてしまった。 お互い無言で、目の前に流れる川を見つめる。 (なんか、変だな) いつもなら、彼女はうるさいくらいに話しかけてくる。しかし今日は、妙におとなしい。もうすっかり馴染んだ仲なので、会話がなくとも気まずくはなかった。心地良いとも思わないが。 何をする事でもなく、彼女に倣って川を見つめていて、ふと自分が空腹なことを思い出した。 買ってきたばかりのパンの袋をひざの上に乗せる。がさがさと袋を開け、ひとつずつ包まれたパンを草の上に並べていく。 その様子にも、クリーオウは興味を示していないようだった。 「食うか?」 クリーオウはオーフェンの顔を見て、並べられたパンに視線を移し、それからこっくりとうなずいた。数個あるうちの一つを手に取り、包みをめくって食べ始める。 オーフェンもまた同様にパンに手を伸ばした。 そして、また沈黙。 どんよりと曇った灰色の空。 レキは、堤防の坂を登ったり下りたりしていた。 「ほら」 言って、オーフェンはパックに入った牛乳を差し出す。 彼女は無言でそれを受け取り、ストローをさして、こくりと飲んだ。 「はい」 クリーオウから牛乳を受け取り、彼もまたそれに口をつける。 (やっぱり変だよな) クリーオウがここまでしゃべらないというのもめずらしかった。 オーフェンは彼女の様子をそれとなく観察してみたのだが、病気などではなさそうだった。怒っているのではなく、悲しんでいるのでもない。ただ、ぼんやりしている。 一人分の食事を二人で食べて、ごみを全て片付けた後でオーフェンは口を開いた。 「なんかあったのか?」 「へ?」 クリーオウがきょとんと聞き返す。 「すげー変だぞ?お前」 「そんなに変?」 「ああ。マジクが今日はお前が問題起こしても怒らないでやってくれって言ってたけど、何かあるのか?」 それに彼女は、ああ、と苦笑した。 「大したことじゃないんだけどね。ただ今日は、お父様が死んじゃった日だな、って思い出してたの」 「……」 オーフェンが何も言えないでいると、クリーオウがくすりと笑いかけてくる。 「別に落ち込んでるわけじゃないのよ。たまにはお父様のこと思い出してあげなきゃ、かわいそうかなって思って。だからこうしてぼけっとしてたの」 えらくひどい物言いである。 そういえば、この少女はよく笑いながら父親の格言だかを話していた。 「ねぇ、オーフェン。死んだ人って、どこへ行くと思う?」 唐突に言ってくるクリーオウに、彼は困ってしまった。口ごもりながら、 「あー、そうだなぁ。ほれ。トトカンタにはでっかい山があったろ。あの山の向こうに……行くんじゃねぇのか?」 自分でも苦しいとは思ったのだが、彼女にも当然というべきか受けなかったようだ。 苦い表情をこちらに向ける。 「いつも思うんだけど、オーフェンてわたしのこと、すごい小さい子のように思ってない?いくら何でも、そんなこと信じるわけないじゃない。それにお父様が死んだのって、わたしが十五歳のときだし」 「……泣いた?」 「そりゃね。……だけどその意外そうな言い方も、とっても不満なんだけど」 オーフェンはそれに苦笑して答えた。 胸の中に妙な感覚を覚えたが、言葉にできるほど、それは形を成していなかった。 「じゃ、俺はもう行くな。なんか邪魔してるみてぇだし」 立ち上がる。 「じゃあわたしも一緒に行くわ。レキ」 彼の返事を待たずにクリーオウも立ち上がり、少し離れた場所で未だに一人遊びをしている子ドラゴンを呼び寄せる。 レキはぱっと顔を上げ、よたよたとこちらへ近づいてきた。 彼女がそれを拾い上げ、胸に抱く。 その行動に対してオーフェンは口を開きかけたが、やめた。彼女が行くと言うのだから、それ以上ここに留まる必要もないのだろう。 もう長い間彼女とは旅をしているが、とても意外な一面を見た気がする。 だがそれも彼女の一部であると、すんなり受け入れた。今まで知らなかっただけのことだろう。 宿までの帰り道を、二人は無言で歩いていった。 (2003.5.30) |
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