もうすぐ彼に会える。 長い間出張に行ってきた彼が、今日やっと帰ってくるのだ。 道の向こうに、彼の乗った馬車はまだ見えてこない。 けれど、彼に逢えるのはもうすぐ。 SUGAR GIRL クリーオウは魔術士同盟の前にある花壇のレンガに腰かけ、足をぶらぶらさせていた。もう何時間もそうしているので、体だけは暇でしょうがない。体だけ、というのはほかでもなく、頭はもうすぐ帰ってくるはずのオーフェンのことでいっぱいだったからだった。 彼が仕事の関係で出張に行ってしまったのは10日前。オーフェンの同僚と一緒に4人で行く出張で、タフレム市に何か用事があるらしい。 出かける前に、帰ってくるのは今日のお昼ごろだと言っていた。昼ごろとはいっても、なんだかんだでどうせ到着するのは真昼より何時間か過ぎたころになるだろう。しかしクリーオウは正午からこの場所――同盟の花壇――に陣取り、ずっと彼を待っていた。 家の仕事はもうしてしまったし、何よりも時間が気になってしてしようがない。どうせそわそわしているの なら、真っ先にオーフェンに会える場所で待っていたかった。 と―― 「帰ってきた!」 道の遠くの方から、一台の黒い馬車がゆっくりとこちらに近付いてくる。明らかに速度を落としているので、それにオーフェンが乗っているに違いなかった。 ぱっと顔を明るくして、花壇を囲んであるレンガから飛び下りる。クリーオウは同盟の手前で早くも停車した馬車に駆け寄っていった。 その馬車の客室から彼が出てくるのをわくわくと待つ。すぐに装飾のない馬車のドアが開き、黒い服を着た魔術士たちが降りてくる。 その中にオーフェンを見つけた。 「オーフェン!」 クリーオウがやや疲れた表情をした夫に呼びかける。 オーフェンはこちらの姿を認めると、ふっと苦笑する。 同じ馬車に乗っていた魔術士たちに適当にあいさつし、クリーオウは彼に近寄った。長い間会えなかったオーフェンに、とびきりの笑顔を向ける。 「お帰りなさい!」 「ただいま」 言って、オーフェンが彼女の金髪をぽんと叩く。 実はただいまのキスも期待していたのだが、彼はしてくれなかった。少しがっかりするが、仕事仲間が近くにいるので当然かもしれない。 オーフェンと一緒に帰ってきた黒魔術士たちは気を利かせてくれるのか、声をかけ合って早々に解散していった。 「じゃあキリランシェロ、お疲れ」 「ああ、ごくろうさん」 オーフェンが同僚の人たちに別れのあいさつをするのを聞き、彼女も軽く礼をする。 彼らを見送ったあと、クリーオウはにんまりとしてオーフェンを見上げた。 さあ、もう邪魔者はいない。 まわりに人もいないことだし、キスをする絶好のチャンスだ。 固く抱き合ってもいい。 しかしオーフェンは苦い表情をして、彼女に何も告げずさっさと歩き出した。 それにクリーオウが驚き、あわてて彼の後を追う。いつもより歩く速度が速いことを意外に感じつつ、彼女は彼に声をかけた。 「オーフェンったら突然どうしたの?ただいまのキスは?」 「馬鹿、でかい声で言うな」 いらいらしたように、周囲を警戒しながらオーフェンが咎めてくる。 彼女も納得して、もう一度小さな声で訊いた。 「ただいまのキスは?」 次は幾分遠慮しながら黒い服のそでを引っ張る。 オーフェンはこちらを見下ろしてしばらく沈黙し――早足で歩きながら――首を横に振った。 「しない」 「へ?」 予想外の答えに、クリーオウが目を丸くする。彼女はとまどいながら、意味が分からなかったのだろうかと今度は違う尋ね方をした。 「じゃあ会いたかったよのキスは?」 「だからしないって」 「・・・なんで?」 きょとんとして聞き返す。 オーフェンは不満そうな表情をしてこちらから視線を逸らす。 その横顔をながめながら、クリーオウはさらに問いかけた。 「じゃあぎゅーって抱きしめるのは?」 「しない」 「だったら手くらいはつなぐでしょ?」 言って、彼女は手を差し出した。 オーフェンは出張のためのこれまた黒い大きな旅行かばんを持っているが、片方の手は空いている。家以外の場所でキスをしたり抱き合うのは、他に人がいないとはいえ、確かに公衆道徳に欠けている。だが、手をつなぐくらい誰だってする。 彼がクリーオウの手を握り返してくるというのには、何の疑いもなかった。 しかしオーフェンは迷惑そうな瞳でこちらを見て、そのまま無視した。 これはさすがに信じられず、クリーオウは青い目を見開いた。完全に言葉を失い、呆然とその場に立ちすくむ。 彼女が足を止めても、オーフェンは振り返ろうともせずにそのままどんどん歩いて行った。 クリーオウは彼の遠ざかる背中をぼんやりとながめ、はっと我に返る。 一瞬後には困惑がむかつきに代わり、クリーオウは肩を怒らせた。離れた距離を取り戻すため、小走りになって彼の背中を追う。だが追いついてからも横に並ぶことはせず、オーフェンの数歩後を歩いた。 (なによなによなによオーフェンってば!) やけに急ぐオーフェンの後ろ姿をにらみつけながら、胸中で毒づく。 彼はクリーオウの苛烈な視線に気付くことはなく、黙々と帰り道を進んでいた。 (人がせっかく、せーっかく何時間も待ってあげてたのにキスはともかく手もつながないなんてどーゆーこと?) 今日は久々にオーフェンに会えるからと、彼女は先日買ったばかりのアンサンブルを着込んでいる。彼の前ではまだ着たことのない、淡いピンクの布地のものである。店で試着したとき、我ながら良く似合っていると購入したものだ。 強いていえば下着も新品のものを着用している。これもべつに他意はないが、なんとなくオーフェンの好みのような気がして数ある仲から選んだものだった。再開した早々、オーフェンに昼間からそんなことをしてほしいと期待したのではないが、状況次第ではもしかしてということもある。何といっても10日ぶりに会うのだし、自分はとても会いたかったのだし、もし、もしもそんなことになったとしても良しとしよう、と思っていた。 オーフェンの――たぶん――好きな金髪も念入りに整えてあるし、化粧も薄くだがしっかりとしてある。 今日の自分は完璧で、久しぶりに会う妻を前に、オーフェンは腰砕けになるはずだった。 それなのにいま目の前にいる彼は、クリーオウに見向きもせず、黙々と前だけを見ている。 それがなおさら彼女の怒りを増幅させた。 このまま回れ右して買い物するなり誰かに八つ当たりするという案もあるのだが、オーフェンにはずっと会いたいと思っていたためそれはできない。いくら不満でも、彼のそばを離れるのはいやなのだ。その事実がまたさらに腹立たしかった。 (出かける前はあんなにも別れを惜しんでたくせに!) 10日前の夜を思い出す。 出張が決まったとき、オーフェンはことあるごとにぶつぶつと文句を言っていた。10日も家を離れるなんて心配でたまらなく、そしてつまらないと。 出かける前の夜は、浮気しないでねとキスマークをクリーオウの体に残しまくったというのに。 (なのにオーフェンはたった10日で心変わりしちゃったってゆーの!?) キスマークはまだ彼女の体に薄くだが残っている。オーフェンの指の感触は消えてしまったが。 自分が彼の帰りを心待ちにして、会える日を指折り数を数えていたのに、オーフェンはその間他の女性と楽しんでいたのだろうか。クリーオウは恋い焦がれていたというのに。 先ほど別れた彼の同僚を脳裏に思い浮かべる。 今まで気にも留めなかったが、二人が男で一人が女だ。 オーフェンは迎えにいったクリーオウを認めると、彼らの方を気まずそうに見ていた。 とてもあやしい。 何かあるとしか思えない。 (まさか浮気でもしてたんじゃないでしょうね!?) とうとうその結論にたどり着き、ギロリと彼の背中をにらみつける。 と、その時にはいつの間にか家に到着し、オーフェンは玄関のかぎをあけているところだった。 まあいい。 浮気の口論など、家の外でするものではない。 彼女は無言で彼の後に続き、家に入って玄関の扉を閉めた。 そしてこの10日間、自分のいないところで一体何をしていたのかオーフェンに問いただそうと顔をあげる。 同時にクリーオウを見下ろしてきた彼と目が合った。うとましそうな視線ではなく、むしろ勝ち誇ったような愛情のこもった瞳である。 オーフェンは無造作に彼女を抱きしめ、そして有無を言わさず唇を重ねてきた。 予想外のことに頭は混乱するが、それを待ち望んでいたのも事実なので、彼女は彼のされるがままになる。オーフェンの熱い唇に、自分のそれを深く重ねた。ただし少しの反抗を表現するため、オーフェンの体に腕を巻きつけるようなことはしない。 そして長い長いキスの後、クリーオウはうなるような低い声を出した。 「何すんのよ、今さら」 オーフェンはこちらの瞳をのぞきこみ、にやりと笑う。 「お前の言ってた、ただいまのキスだろ?」 「遅いわよ。どうして今までしてくれなかったの?」 「あのなあ。公衆の面前でできるわけねーだろ」 そう言うオーフェンは、会話をする間にも彼女の額や瞼や鼻や頬や唇に何度も何度も彼の唇を押しつけてきた。 悪い気はしない。 「誰もいなかったわ」 「それがいたんだよ、アホ魔術士どもが。お前は気付かなかったかもしれんけどな、あいつら俺たちをずっとつけてきやがった」 オーフェンは不機嫌そうに舌打ちする。 それを聞いて、クリーオウは彼のいくつかの不可解な行動を理解した。家に到着するまでずっとオーフェンが冷たかったのも、やたら早足で歩いたのも、ちゃんと原因があったのだ。彼女は他人に見られてもかまわなかったのたが、それならば許してやらなくもない。 だがクリーオウは服の下に侵入してきた彼の手を押しとどめた。 添えられた彼女の手を見て、オーフェンが不思議そうにする。 悪い気はしない。 クリーオウはいたずらっぽい笑みをオーフェンに向けた。 「夜までダメ」 「・・・なんで?」 「さっきすぐにキスしてくれなかったから」 その言葉にオーフェンが困った顔をする。視線でしょうがないだろ、と言ってくるが、クリーオウはにんまりと笑って却下する。 するとオーフェンは少しうなだれたが、今の言葉の意味を理解したのか、しおしおとクリーオウの素肌に触れえていた手をどけた。そして玄関に投げ出されたままの荷物を持ち上げる。 素直に引き下がったのは、「夜まで」の部分をしっかり覚えていたからだろうか。 リビングに入る一歩手前、オーフェンはこちらを振り返った。 「それ、新しい服か?」 「そう」 彼はクリーオウの新しい服にちゃんと気付いた。 本当は下着も新しいのだけれど、見せられないのは残念だ。 (2005.6.11) |
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