不意に衝動に駆られ――だが、自分が求めているものが何かわからず、伸びた手が宙を掻いた。 最近よくある感覚。 原因は不明。 体に物足りなさを覚え、オーフェンは舌打ちした。 それでなくても近ごろ妙に苛立ちを感じている。 理由が解明できればすぐにでも行動を起こす気はあるのに、その理由が分からなかった。 「なんかお前、いらいらしてんな」 話しかけられて、オーフェンは顔をあげた。 声をかけてきたのは彼の泊まっている宿の主――ジョニーである。知り合ってまだ10日程度だが、それなりに親しくなっていた。 気にしていたことを言われ、オーフェンは確かめるように聞く。他人なら苛立ちの原因がわかるかもしれない。 「やっぱりか?」 すると、ジョニーは驚いて目を丸くした。 「自覚はあるのか。そうだな、うちに来たときはそうでもなかったが、最近間隔が短くなってきたような・・・なあ、サラ?」 ジョニーがオーフェンの隣でチョコレートパフェを食べている女――銀行員のはずだが仕事はどうしたのか――に話を振る。 突然話題を振られた彼女――サラだが、話を聞いていたのかぱっと顔をあげ同意した。 「ああ、そうね」 サラはかまっていたパフェから目を離し、長いスプーンをゆらゆらさせる。口の中のものを飲み下し、彼女が先を続けた。 「ホント、あんたってば最近いらいらしてるわよ。すんごい怖いんだから。あんたがその凶悪な顔で舌打ちするたびにいつ暴れ出すんじゃないかって、わたしびくびくしてるんだから。前はもーちょっとくらいかわいい顔してたのに」 「そのわりにはのんきそーにパフェ食ってるけどな、お前」 毒づくと、彼女はそんなことないわよぉ、と平和そうな表情で笑う。疑いながらサラをねめつけていると、カウンター越しにジョニーが口を開いた。 「ここの暮らしが合わないとか?お前って西部に住んでたんだろ」 実際それが原因のことがよくあるのだろう。ジョニーは慣れた口調で言ってきた。 しかしオーフェンは首を横に振る。 西部と東部の暮らしは、そう隔たりのあるものではない。たまに不思議に思うことがあったとしても、すぐに順応できる。 それ以前に、彼が東部に来てだいぶ日が経っていた。ここに着いたのが最近というだけである。 「そんなことじゃないんだ。ただ・・・何か足りない気がして」 だが、その何かがオーフェンには分からなかった。 ここには生活するために必要な物はすべてそろっている。食べ物もあるし、人もいる。不自由はなかった。 欠けたものといえば旅の連れだが、彼らが理由とは思えない。一人旅なら、もうずっとそうしてきた。むしろ、誰かと一緒に旅をしたほうがめずらしかった。 「足りないもの・・・いらいらするって言うんなら禁断症状ってことかしら。お酒でも飲んでた?今飲んでないみたいだけど」 「酒は飲まない」 「たばこ?」 「たばこも吸わない」 「じゃ、何よ?」 サラが少しむっとする。 オーフェンは手を振って、それを制した。 「知らないからこうして悩んでるんじゃねーか」 苛立ちが募り、オーフェンは深く息を吐く。 確実にわかっているのは、何かが足りないということだけだった。 「そういえば」 呟いて、磨いていた皿を置くジョニーをオーフェンは見る。 「お前が機嫌を損ねる時って、いつもここらへんまで手を挙げてるが、もしかするとそれが原因じゃねーか?」 彼は手を目線より少しだけ下の位置で動かした。 それを見ていたサラも表情を明るくして同意する。 「そうそう。オーフェンってそんなことするわね。この高さが何かあるの?」 期待する二人の視線を感じ、オーフェンは息をつめた。 思わず彼らから視線をそらす。 完全に思い出した。 というより、思い至ってしまった。 否定しようにも、否定できる要素のないあまりにも正直すぎる仕草。 (クリーオウの頭の位置だ・・・) 突き止めた原因があまりにも情けなくて、オーフェンはがっくりとうなだれた。 彼女の金髪に触れられないだけで苛立っていたなど、愚かにも程がある。 「おーい・・・」 「どうしたのー・・・?」 オーフェンがテーブルに突っ伏していると、すぐそばと、そして遠いところから心配そうな声がかけられた。 複雑な心境で、もしくは泣きそうな気持ちで身を起こし、姿勢を正す。 それからオーフェンは、隣で怪訝そうにしているサラの頭をがしっと掴んだ。 「な、何よ!?」 驚愕する彼女を尻目に、黒髪をポニーテールにした頭を軽く何度も叩く。 しばらくその感触を確かめていると、サラは悲鳴をあげてオーフェンの手から逃げ出した。 珍獣でも見るような目付きで彼を警戒する。 「何なの・・・!?」 「おい、どうした・・・?」 カウンターの向こうにいるジョニーまでもがうろたえたが、オーフェンは二人を無視して嘆息した。サラの頭を撫でた方の手を見やる。 柔らかくはあったが、クリーオウの金髪とは何かが違った。 思い出してしまうと、彼女のブロンドが恋しい。 「ねえ、何があったのよぉ?」 答えず、彼はうつむいて首を左右に振った。わかってしまったからには、観念するしかない。 どこかあきらめたような心地で、彼は深刻そうな皺を顔に刻んだジョニーに告げた。 「・・・トトカンタに帰る」 帰る、という言葉自体に深い意味はない。 旅の出発点はタフレムであったし、それに比べればトトカンタはただの中間地点でしかない。 だが、クリーオウがいたのはトトカンタだった。 そして彼女が今いる場所も、トトカンタだろう。 「トトカンタ?西部の都市よね。どうしてまたそんなとこに」 「う・・・用事を思い出して。・・・会いたい奴がいるし・・・」 言葉を濁すと、ジョニーが含み笑いをする。 にやにやと楽しそうにこちらを眺めた。 「そんなとこだろうな。苛立ちの原因がそこにあるんだろうよ、きっと」 ちらりとジョニーの方を向くと、彼は大仰にうなずいた。 何もかも分かり切ったかのような表情で続ける。分かり切った上で、オーフェンをからかっているようだった。 「来るのも出ていくのも客の自由だから、俺は何も言わない。聞きもしない。宿代だけはきっちり払ってもらうけど」 言って、ジョニーは戸棚から紙を取り出す。 「何よ、あんたたちばっかり話が通じてずるいじゃない。どうしてオーフェンはいきなり出てくわけ?」 話についてこれないサラは不服そうに唇をとがらせた。 口をつぐんだオーフェンの代わりに、ジョニーが意地の悪い笑みを浮かべる。 「こいつが出てってから教えてやるよ。で、お会計ですが・・・」 急に口調を変えた彼に、オーフェンはその場を後ずさった。面倒を見てくれたジョニーに宿代を払えないこともないが、払ってしまえば船代がなくなってしまう。トトカンタへは、何となく早く着きたかった。 (すまん、ティッシ) 胸中で謝罪し、ジョニーを見る。 「請求はタフレムのレティシャ・マクレディにしてくれ」 申告した瞬間、姉の顔が脳裏をよぎった。 ジョニーが、さらにおかしそうに笑った。 船に乗って、ただ時間が過ぎるのを待つ。 急いでいるだけに、何もしないでいることがもどかしかった。だがこの船は、オーフェンが歩くよりもはるかに早くトトカンタに着くのだ。 オーフェンは深く嘆息して、甲板の手摺に体をあずけ、空を見上げた。雲のない空は青く、無駄に太陽がまぶしい。 いっそ昼寝でもしようかと考えたとき―― 「オーフェンさん?」 かけられるはずのない声に驚いて、彼は振り返った。 目の前にいる少年の姿に絶句する。一ヶ月前と服だけが違った少年――マジクがそこにいた。 「マジク・・・」 オーフェンの呟きも空しく、マジクが眉をひそめる。 「どうしてこんなところにいるんですか?これ、トトカンタ行きの船ですよ?」 「お、お前こそどうしてこんな時期にこんなところで・・・」 「どうしてって・・・トトカンタに帰るに決まってるじゃないですか。で、オーフェンさんこそどうしたんですか?トトカンタに用事ですか?」 「いや、別に・・・」 とっさに目を逸らす。 何もやましいことなどないのだが、理由を率直に告げるのはばつが悪い。 「で、クリーオウは?」 「クリーオウはまだ安静にしてます」 話をそらすつもりで聞いたのだが、マジクの答えにオーフェンは驚愕した。ということは、ふたりは別行動をとっているのだろうか。 別れてから日が経つとはいえ、クリーオウに一人旅をさせるのは賢明ではない。元気な時にも一人で出歩かせたくないのに、病み上がりではなおさらだった。 「まだ王都か?どうして一緒に残らなかったんだ?」 それは多少の狼狽が含まれていたかもしれない。 けれどマジクは、小馬鹿にするように鼻で笑った。 「・・・なるほどね」 「何がなるほどなんだよ」 少年の態度が癪に触り、オーフェンが低い声を出す。 マジクは憶した様子もなく、おもしろくなさそうに答えた。少し見ない間に、可愛げがすっかり失せている。 「いえ、何となく思っただけなんですけど。本当に何となくなんですけど。やっぱりクリーオウなのかなって」 「いやべつに俺はクリーオウに会いにきたんじゃなくてただどうしてるのか思っただけだろ、おい」 「じゃあトトカンタへはどんな理由で?」 「・・・・・・・・・」 オーフェンが押し黙ると、マジクはさらに続けた。 「まだ一ヶ月ですよ。早すぎますよ何ですかそれ。そりゃぼくだって彼女には大袈裟に考えないほうがいいって言いましたけどそれにしたって限度ってものが。しかもクリーオウからは意味深にかっこよく別れたって聞きましたけどそこのところはどうなんですか?」 口早に畳みかけられ、彼は今度こそ言葉を詰まらせる。どれも真実であったがために、答えられるのはひとつだけだった。 「クリーオウはどこだ?」 船にある客室のひとつをノックする。義姉が気をきかせたのか、決して安くない個室をそれぞれに一部屋ずつ与えたようだった。 中から、すぐに返事がある。離れていた時間はマジクと変わりないのだが、彼女の声は懐かしさを感じた。 ぱたぱたと足音がして、警戒もなしに木製の扉が開く。 廊下で待っていたオーフェンと視線が合って、クリーオウはぽかんとした。 「・・・オーフェン?」 胸にはまだ小さなディープ・ドラゴンを抱いている。 呼びかけに、今は答えず、彼は目を真ん丸にした彼女の頭に手を乗せた。 久しぶりに触れたブロンドは、柔らかく滑やかで心地良い。 ずっと求めていたものがそこにはあって、オーフェンは大いに満足した。 (2005.2.21) |
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