□ 予定は未定 □


クリーオウは地面に膝をつき、娘と目線の高さを同じにした。肩まで伸ばした黒髪を丁寧に撫でてやりながら、母親らしい笑みを浮かべる。
「じゃあいい子にしててね、ラッツ」
彼女はあまり大げさにならないよう、極めて明るく言った。
ラッツ――ラッツベインはティシティニーのスカートの裾をぎゅっと握り、やや拗ねた様子でこちらを見る。
「いつ帰ってくるの?」
「そうねぇ、8時ごろかしら」
「・・・はちじっていつ?」
ラッツベインはそう聞き返してきた。幼い彼女には、まだ時間の概念がきちんと形成されていないらしい。
クリーオウは一瞬考えるように視線を虚空へやった。
「んー、えーとね、今からラッツがお外で遊んで、疲れたらお昼寝するでしょ。お昼寝から起きたらおやつを食べて、また遊ぶわよね。ご本を読んでもらうのかしら。そうしてるとそのうちお外が真っ暗になって、ラッツがお夕飯を食べて少ししたくらいかしら」
「うん・・・?」
ラッツベインはよく分からなかったのか、返事をしつつも首をかしげる。
するとクリーオウの夫であるオーフェンが苦笑いを漏らし、彼女と同じようにしゃがみこんだ。
「お前は説明が長すぎるんだよ」
こちらに向かって文句を言い、次に娘をのぞきこむ。そしてぽんと手を彼女の黒髪の上にのせた。
「心配しなくてもすぐ戻ってくるさ。8時なんてあっという間だ」
「オーフェン、大雑把過ぎるわよ」
「いんだよ、これくらいで」
言い終えると彼はさっさと立ち上がる。
どうも釈然としないが、クリーオウもオーフェンに倣って地面から膝を離した。
「レキもいるんだから、寂しくなんかないはずよ。お土産も買ってくるし」
「ほんと?」
「ええ」
すぐに目を輝かせてくる娘に、にっこりと笑い返す。
ラッツベインは表情を一転させ、元気良く手を振った。
「いってらっしゃい!」
「はい、行ってきます」
「いい子にしてろよ」
クリーオウは娘に手を振り返し、ティシティニーとマリアベルにも目であいさつをした。自分と彼の娘なのだから、はしゃぎまわって迷惑をかけるのは分かっている。
クリーオウは何度もラッツベインを振り返りながら、ゆっくりと家を離れた。
しばらく歩き、家が見えなくなったところで彼女はオーフェンを見上げた。
同時に見下ろしてきたらしい彼と、視線がかみ合う。そのことにクリーオウはにんまり笑った。
ラッツベインには悪いが、こういう時間が持てたことは、正直嬉しい。
「久しぶりのデートね」
「ああ。2人きりで出かけるっていうのは最近なかったかもな」
なんとなく笑いあいながら、どちらともなく手をつなぐ。親子3人で出かけるときは、動きまわる娘を追うことに必死で、ゆっくりと歩くこともなかった。久しぶりのたわいない行為が、妙に新鮮に感じる。
「わたしとオーフェンだけよ」
「そうだな」
「2人きりなのよ」
「そうだな」
「あんまりにも久しぶりだから、ちょっと緊張するわね」
「・・・力みすぎ」
呆れたように言って、オーフェンが空いている方の手で彼女の金髪をぽんと叩いた。
こんなことも、久々な気がする。
「子連れじゃ入れないところって、どこがあるかしら?」
「うーん・・・。やっぱシアターか」
「あ、そうね。べったべたのラブロマンスでも観る?ラッツなら絶対に飽きちゃうジャンルよ」
クリーオウは彼とつないだ手をぶんぶんと上下させた。
するとオーフェンは冷ややかな視線を彼女に向けてくる。
「却下」
「どうしてぇ?」
「趣味じゃない」
「あ、そうね。オーフェンは食べ物の話か体力の話にしか興味がないんだっけ?」
「おい」
彼がなにやら隣でごちゃごちゃと言っているが、きっぱりと無視をする。
「子連れで入れないところ・・・高級レストランは?」
「・・・レストランに入るなら夜だろ。だけど時間がないからそれは無理だな」
「あ、そっか・・・」
言われてから気付く。子連れではないにしても、子どもがいるとやはりいろいろと制限は発生してくるようだった。時間も限りがあるため、結局はいつも行っているような場所へしか行けない。
だけど、とクリーオウは顔を上げた。
「よく行くお店だって、2人きりだと少し違うわよね」
「そうかあ?」
笑顔で言った彼女と違い、オーフェンは疑わしげな表情をよこす。
クリーオウは少しだけ口をとがらせた。
「どーしてそんなこと言うのよー?」
「だって、俺が振り回される点に関しては、お前もラッツもそう変わるもんじゃねーし。あえて言うならうるさいのが1人減った、くらいにしか思ってない」
「失礼ね!ラッツは子どもだから仕方ないけど、わたしはもう大人よ!お荷物のように思われるなんて心外だわ!?」
「精神年齢は同じだろ」
「それって絶対オーフェンも人のこと言えないわよ」
「嘘つけ。俺のどこがラッツと同じだってんだよ。俺はもうとっくに大人になってる」
「嘘だわそんなの。だってわたし、心当たりならいくらでもあるもの」
「へえ?たとえば?」
「ラッツとおやつの取り合いするとことか」
「・・・・・・・・いい天気だ」
「あ、またそうやってごまかして」
「―――――」
「――――――」




◇    ◇    ◇    ◇    ◇




「ふう」
非常に疲れた様子で、オーフェンは両手いっぱいの荷物を床に置いた。そのまま彼は倒れこむようにソファに腰を下ろす。どさりと、かなり重い音がした。
「お疲れ様。オレンジジュースが冷えてるけど飲む?」
「ああ・・・」
キッチンからクリーオウが尋ねると、彼はぐったりと返事をした。どうやら浮かれて色々と引っ張りまわしすぎてしまったらしい。彼とは逆に、自分はまだまだ元気なのだが。
本当はオーフェンにコーヒーでも淹れてあげたいのだが、あまり時間に余裕はなかった。手早く、冷えたオレンジ色の液体をグラスに注ぐ。注ぎ終えジュースを元の場所に戻し、グラスを運ぶ。ことんと、オーフェンの前のテーブルに置いた。
「お疲れ様」
クリーオウは言いながら、彼の隣に腰を下ろす。そうすると、自分も少しは疲れていることが分かった。今日一日街中を歩き回ったのだから当然かもしれないが。
「ホントにな」
オーフェンはもたれていたソファから身を起こして、早々にオレンジジュースに口をつける。ごくごくとジュースを飲むその表情は、至極幸せそうだった。
「ねぇオーフェン。休んでるところ悪いんだけど、あんまりぐずぐずもしてられないわよ」
ちらりと時計を見やる。7時をいくらか過ぎたところだった。外は真っ暗ということもないが、じきにそうなるだろう。
「あの子迎えに行かなくちゃ」
彼女らはショッピング街でひと通り買い物をし終えた後、自宅へ戻ってきていた。2人ともかなりの量の荷物を持っていて、その上さらにラッツベインを抱えるとなると、控えめに想像するだけでもしんどい作業になる。買い物を終えた場所から自宅が近いこともあって、一端手荷物を下ろそうということになったのだった。
「ねえ、大丈夫?」
いつの間にかぐったりと彼女にもたれかかってきていたオーフェンに問う。
けれど返事はない。
「オーフェンがつらいんなら、わたしだけ迎えに行ってこようか?」
その方が早いかもしれない、と立ち上がるため足に力を込める。
と、不意に肩に圧力をかけられた。またもやいつの間にか、肩のところに彼の腕がある。クリーオウはバランスを崩し、ぼすんとソファに戻った。
(この状況は・・・)
こめかみに一筋の汗を浮かべながら、クリーオウは視線をさまよわせる。泳ぐ目は、唯一にして最大の救いである時計を捕らえた。
「オーフェン、ラッツが待ってるから早く行ってなげなくちゃ♪」
「・・・お前ん家、子供の頃の服とか残してないのか?」
「?あるわよ。それがどーかした?」
脈略のない質問に疑問が浮かぶが、素直に答える。その時点でようやくオーフェンと視線が交わった。
「・・・なら大丈夫」
なにが、と聞き返そうと詩、体が傾けられていることに気付く。驚く暇さえ与えられず、ソファに押し倒された。
にやにやした彼を一生懸命押し返しながら、今度ははっきりと声を出す。
「なにが大丈夫なの?」
「ん?ラッツの着替えがな」
なぜ着替えなど必要なのだろうと、もう一度尋ねようとする。しかしその前に、明確な答えを探し当ててしまった。
オーフェンは今夜、娘を彼女の実家へ泊まらせるつもりなのだ。
すると、自分はこのまま――――
「2人きりってのは本当に久しぶりだな」
にやりと笑みを向けてくる。
クリーオウは近付いてくるオーフェンを見て、反射的に目を閉じた。



翌朝、新妻よろしくオーフェンを送り出したクリーオウは、かなり気まずい思いでラッツベインを迎えに行ったとか。






(2004.5.12)
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