クリーオウは地面に膝をつき、娘と目線の高さを同じにした。肩まで伸ばした黒髪を丁寧に撫でてやりながら、母親らしい笑みを浮かべる。 「じゃあいい子にしててね、ラッツ」 彼女はあまり大げさにならないよう、極めて明るく言った。 ラッツ――ラッツベインはティシティニーのスカートの裾をぎゅっと握り、やや拗ねた様子でこちらを見る。 「いつ帰ってくるの?」 「そうねぇ、8時ごろかしら」 「・・・はちじっていつ?」 ラッツベインはそう聞き返してきた。幼い彼女には、まだ時間の概念がきちんと形成されていないらしい。 クリーオウは一瞬考えるように視線を虚空へやった。 「んー、えーとね、今からラッツがお外で遊んで、疲れたらお昼寝するでしょ。お昼寝から起きたらおやつを食べて、また遊ぶわよね。ご本を読んでもらうのかしら。そうしてるとそのうちお外が真っ暗になって、ラッツがお夕飯を食べて少ししたくらいかしら」 「うん・・・?」 ラッツベインはよく分からなかったのか、返事をしつつも首をかしげる。 するとクリーオウの夫であるオーフェンが苦笑いを漏らし、彼女と同じようにしゃがみこんだ。 「お前は説明が長すぎるんだよ」 こちらに向かって文句を言い、次に娘をのぞきこむ。そしてぽんと手を彼女の黒髪の上にのせた。 「心配しなくてもすぐ戻ってくるさ。8時なんてあっという間だ」 「オーフェン、大雑把過ぎるわよ」 「いんだよ、これくらいで」 言い終えると彼はさっさと立ち上がる。 どうも釈然としないが、クリーオウもオーフェンに倣って地面から膝を離した。 「レキもいるんだから、寂しくなんかないはずよ。お土産も買ってくるし」 「ほんと?」 「ええ」 すぐに目を輝かせてくる娘に、にっこりと笑い返す。 ラッツベインは表情を一転させ、元気良く手を振った。 「いってらっしゃい!」 「はい、行ってきます」 「いい子にしてろよ」 クリーオウは娘に手を振り返し、ティシティニーとマリアベルにも目であいさつをした。自分と彼の娘なのだから、はしゃぎまわって迷惑をかけるのは分かっている。 クリーオウは何度もラッツベインを振り返りながら、ゆっくりと家を離れた。 しばらく歩き、家が見えなくなったところで彼女はオーフェンを見上げた。 同時に見下ろしてきたらしい彼と、視線がかみ合う。そのことにクリーオウはにんまり笑った。 ラッツベインには悪いが、こういう時間が持てたことは、正直嬉しい。 「久しぶりのデートね」 「ああ。2人きりで出かけるっていうのは最近なかったかもな」 なんとなく笑いあいながら、どちらともなく手をつなぐ。親子3人で出かけるときは、動きまわる娘を追うことに必死で、ゆっくりと歩くこともなかった。久しぶりのたわいない行為が、妙に新鮮に感じる。 「わたしとオーフェンだけよ」 「そうだな」 「2人きりなのよ」 「そうだな」 「あんまりにも久しぶりだから、ちょっと緊張するわね」 「・・・力みすぎ」 呆れたように言って、オーフェンが空いている方の手で彼女の金髪をぽんと叩いた。 こんなことも、久々な気がする。 「子連れじゃ入れないところって、どこがあるかしら?」 「うーん・・・。やっぱシアターか」 「あ、そうね。べったべたのラブロマンスでも観る?ラッツなら絶対に飽きちゃうジャンルよ」 クリーオウは彼とつないだ手をぶんぶんと上下させた。 するとオーフェンは冷ややかな視線を彼女に向けてくる。 「却下」 「どうしてぇ?」 「趣味じゃない」 「あ、そうね。オーフェンは食べ物の話か体力の話にしか興味がないんだっけ?」 「おい」 彼がなにやら隣でごちゃごちゃと言っているが、きっぱりと無視をする。 「子連れで入れないところ・・・高級レストランは?」 「・・・レストランに入るなら夜だろ。だけど時間がないからそれは無理だな」 「あ、そっか・・・」 言われてから気付く。子連れではないにしても、子どもがいるとやはりいろいろと制限は発生してくるようだった。時間も限りがあるため、結局はいつも行っているような場所へしか行けない。 だけど、とクリーオウは顔を上げた。 「よく行くお店だって、2人きりだと少し違うわよね」 「そうかあ?」 笑顔で言った彼女と違い、オーフェンは疑わしげな表情をよこす。 クリーオウは少しだけ口をとがらせた。 「どーしてそんなこと言うのよー?」 「だって、俺が振り回される点に関しては、お前もラッツもそう変わるもんじゃねーし。あえて言うならうるさいのが1人減った、くらいにしか思ってない」 「失礼ね!ラッツは子どもだから仕方ないけど、わたしはもう大人よ!お荷物のように思われるなんて心外だわ!?」 「精神年齢は同じだろ」 「それって絶対オーフェンも人のこと言えないわよ」 「嘘つけ。俺のどこがラッツと同じだってんだよ。俺はもうとっくに大人になってる」 「嘘だわそんなの。だってわたし、心当たりならいくらでもあるもの」 「へえ?たとえば?」 「ラッツとおやつの取り合いするとことか」 「・・・・・・・・いい天気だ」 「あ、またそうやってごまかして」 「―――――」 「――――――」 「ふう」 非常に疲れた様子で、オーフェンは両手いっぱいの荷物を床に置いた。そのまま彼は倒れこむようにソファに腰を下ろす。どさりと、かなり重い音がした。 「お疲れ様。オレンジジュースが冷えてるけど飲む?」 「ああ・・・」 キッチンからクリーオウが尋ねると、彼はぐったりと返事をした。どうやら浮かれて色々と引っ張りまわしすぎてしまったらしい。彼とは逆に、自分はまだまだ元気なのだが。 本当はオーフェンにコーヒーでも淹れてあげたいのだが、あまり時間に余裕はなかった。手早く、冷えたオレンジ色の液体をグラスに注ぐ。注ぎ終えジュースを元の場所に戻し、グラスを運ぶ。ことんと、オーフェンの前のテーブルに置いた。 「お疲れ様」 クリーオウは言いながら、彼の隣に腰を下ろす。そうすると、自分も少しは疲れていることが分かった。今日一日街中を歩き回ったのだから当然かもしれないが。 「ホントにな」 オーフェンはもたれていたソファから身を起こして、早々にオレンジジュースに口をつける。ごくごくとジュースを飲むその表情は、至極幸せそうだった。 「ねぇオーフェン。休んでるところ悪いんだけど、あんまりぐずぐずもしてられないわよ」 ちらりと時計を見やる。7時をいくらか過ぎたところだった。外は真っ暗ということもないが、じきにそうなるだろう。 「あの子迎えに行かなくちゃ」 彼女らはショッピング街でひと通り買い物をし終えた後、自宅へ戻ってきていた。2人ともかなりの量の荷物を持っていて、その上さらにラッツベインを抱えるとなると、控えめに想像するだけでもしんどい作業になる。買い物を終えた場所から自宅が近いこともあって、一端手荷物を下ろそうということになったのだった。 「ねえ、大丈夫?」 いつの間にかぐったりと彼女にもたれかかってきていたオーフェンに問う。 けれど返事はない。 「オーフェンがつらいんなら、わたしだけ迎えに行ってこようか?」 その方が早いかもしれない、と立ち上がるため足に力を込める。 と、不意に肩に圧力をかけられた。またもやいつの間にか、肩のところに彼の腕がある。クリーオウはバランスを崩し、ぼすんとソファに戻った。 (この状況は・・・) こめかみに一筋の汗を浮かべながら、クリーオウは視線をさまよわせる。泳ぐ目は、唯一にして最大の救いである時計を捕らえた。 「オーフェン、ラッツが待ってるから早く行ってなげなくちゃ♪」 「・・・お前ん家、子供の頃の服とか残してないのか?」 「?あるわよ。それがどーかした?」 脈略のない質問に疑問が浮かぶが、素直に答える。その時点でようやくオーフェンと視線が交わった。 「・・・なら大丈夫」 なにが、と聞き返そうと詩、体が傾けられていることに気付く。驚く暇さえ与えられず、ソファに押し倒された。 にやにやした彼を一生懸命押し返しながら、今度ははっきりと声を出す。 「なにが大丈夫なの?」 「ん?ラッツの着替えがな」 なぜ着替えなど必要なのだろうと、もう一度尋ねようとする。しかしその前に、明確な答えを探し当ててしまった。 オーフェンは今夜、娘を彼女の実家へ泊まらせるつもりなのだ。 すると、自分はこのまま―――― 「2人きりってのは本当に久しぶりだな」 にやりと笑みを向けてくる。 クリーオウは近付いてくるオーフェンを見て、反射的に目を閉じた。 翌朝、新妻よろしくオーフェンを送り出したクリーオウは、かなり気まずい思いでラッツベインを迎えに行ったとか。 (2004.5.12) |
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