どはあああん!
蝶番が軋むほどの勢いで扉を開けて入ってきたのは、ブロンドの髪をした女の子だった。
いっぱいの太陽の光を背負った彼女は、服装さえ違えば天使に見間違えるほどに愛らしく。
彼女がここに来た理由は何であれ、誰かを迎えに来た、そんな気がした。
『誰か』は喜んでその事実―――運命?―――を受け入れるだろう。





in chase of...
―――追って、追われて。






そんな白昼夢のような考えをかぶりを振って追い払い、サラは改めて扉の前に立つ少女を観察した。
金髪碧眼。肌は透き通るように白く滑らかで、きめが細かい。大きな輝く瞳に、長いまつげ。
美しさよりも、まだ可愛いらしさが勝った顔つきをしている。
お嬢様。貴族。お姫様?
お姫様は、城をやむない事情で追い出された騎士を健気にも追いかけてきたのだろうか。
「アルフレド様!やっと見つけましたわ!わたくしにはあなた様しかいませんの。どうかお側にいさせてください!」
というように。
食堂を見回しても、鎧をつけた騎士は見当たらなかったが。外で白馬を見た記憶もない。
お姫様の服装もまたドレスではないが。
白いシャツにジーンズといった、確かに旅をしやすいかもしれないが色気のかけらもないような格好をしていた。 なんとなく、もったいない気がする。
とにかくその金髪の少女は肩で荒く息を吐きながら、食堂の一点を宝石のような瞳で凝視していた。
サラは素直に彼女の視線の先を追った。
その先には黒ずくめの男―――オーフェン。半年ほど前に町にふらりとやって来た、ジョニーの宿の常連客―――支払いがどうなっているのかは知らない―――である。
彼は、突然入ってきた少女をぽかんとした顔で見つめていた。
双方共に、無言。
しかし、顔見知りということはうかがえた。
当人同士が黙っているのに、部外者であるジョニーやサラが口を出せるわけもなかった。
そして、沈黙から10秒ほど経過した後、先に音を発したのは少女だった。
「お・・・・・・」
―――その先の言葉は想像できる。
オーフェン、と彼女は彼を呼ぶだろう。瞳が微かに揺れていた。
「お、お腹すいた・・・」
情けない声を出して、ふらふらとその場にしゃがみ込む。
「?」
予想を見事に外され、サラは首をかしげた。



どう対処すれば良いのか分からず、ジョニーと一緒に唖然としていると、先ほどまで少女と同じ呻き声を上げていたオーフェンが困惑した様子で彼女に近付いていく。そうしてすぐ側にひざを付いて、彼女の肩を揺さぶった。 「クリーオウ?お前―――どうしてこんなとこいるんだ?ひとりか?」
少女―――クリーオウという名前らしい―――は、潤んだ瞳で顔を上げる。
「オーフェン・・・お腹すいた・・・」
「あ?あ、ああ。そうだったな。ジョニー」
クリーオウの肩に手をかけたまま、オーフェンがジョニーの方を向く。
「こいつに何か―――ええと、そうだな。お粥でも作ってやってくれ」
「分かった。嬢ちゃん、すぐ作ってやるからちょっと待っててな。サラ、お前もこっち来て手伝え」
「ああ、うん・・・」
呼ばれてサラは、あわててカウンターに向かった。
ジョニーに言われるままに動きながらも横目で彼らを見る。
「ほら、しっかり立て」
オーフェンはなおも困惑したまま、彼女が立つのを手伝い、木製のテーブルに誘導する。
クリーオウは手を引かれながら、それに素直に従っていた。
「で?どうやってここまで来たんだ?」
いすに座るなり、オーフェンは金髪の少女に問いかける。
「どうやってって?」
「だから、海路を使ったとか、馬車を使ったとか。誰かに送ってもらったのか?」
その質問は、サラも大いに興味があった。
いかにもか弱そうな自分よりも年下の―――いうなれば子どもが、どうやってこの辺境の町まで来れたのか。
現在、長旅の最もメジャーな交通手段は海路である。
海路を使ったとしても、最寄りの港までは歩いて数日から十数日かかる。
いけないことだとは思うが、つい彼らの会話を聞き逃すまいとしてしまう。
ふとお粥を作るジョニーを見やると、彼の注意もまた、オーフェンらにあるようだった。
「ううん。旅してた時みたいに歩いて来たの。どこに行ったかわからないオーフェン探すのに、いきなり海路使ってもしょうがないでしょ?時間はかかっちゃったけど」
「一人でか?」
オーフェンが眉間にしわをよせる。
クリーオウは微笑しながら小さくかぶりを振った。
「ひとりじゃないの」
言いながら彼女が唯一の小さなリュック―――それだけの荷物で旅ができるとは到底思えない―――のふたを開ける。
中から、黒くて小さな犬がひょっこりと顔を出した。
「こいつだけ?」
「?そう」
「こいつ、魔術は使えるのか?」
「知らない」
「知らないってお前」
オーフェンがうめく。
「だって、今まで危険にさらされたことってなかったんだもの。レキの魔術なんて使う機会がなかったのよ」
「お前が今さらそれを言うか?意味もなく大爆発が起きて自然破壊の原因になったことなんてしょっちゅうじゃねーか」
「そうだったかしら・・・」
彼女の不思議そうに返す答えにオーフェンがめまいを感じたように額に手をあてる。
「まあこの際それはいい。で、ここまでは何ヶ月かかかったんだよな。当然宿に泊まったよな?野宿なんてしてないだろうな?」
オーフェンが不安げに少女を見つめる。
横から聞いて、サラは馬鹿馬鹿しい質問だと思った。
だいぶ治安が良くなった世の中とはいえ、山賊や盗賊などは未だに存在している。
若い娘が単独で旅をするなど、それこそ無謀といえた。
夜になれば大の男でも安心して良いということはない。
人間以外にも、動物に襲われるということもありうるのだ。
(いくらなんでも、あんな可愛い子が野宿なんてしないわよ。オーフェンたら心配しすぎなのよ)
だがサラの予想に反し、クリーオウの答えはとことん軽かった。
「もちろん野宿もしたわよ。できるだけ宿に泊まるようにはしてたけど、どうにもならない時ってあるでしょ?そんな時は、今までの経験を活かして野宿してたの」
それを聞いてオーフェンががっくりと肩を落とす。
サラは惚けたように口を開けた。
となりでジョニーが似たような表情をしている。
「あのなあ、あの時は一応交代で見張りを立ててたんだぞ?男ならともかく、お前みたいなのがひとりで寝てたら襲って下さいとでも言ってようなもんじゃねーか」
「いいじゃない。無事だったんだから」
呆然と会話を聞いていると、トントンと肩を叩かれた。
「え?何?」
我に返ってジョニーを見る。
彼は小さ目な声で言ってきた。
「お粥ができたから持ってってやれ」
ジョニーがお盆にお粥とレンゲと、水の入ったグラスをのせる。
「ああ、うん、はい。って、なんであんたが行かないの?」
「馬鹿野郎。俺が運んであの子が驚いたらどうするんだ」
サラはジョニーの巨体を改めて見つめて納得した。
もともと背が高いうえ、力仕事をしているため筋肉もある。基本的に優しい顔つきをしているが、顔よりもまず体格に目に付くのだ。
それに比べれば女である自分の方が彼女も安心できるだろう。
「だけど、運んだ後はどうすればいいかしら。やっぱり帰った方がいいと思う?」
「頼むから帰らないでくれ。お前が帰ったら部外者は俺一人になる。それはあまりにも気まずい」
ジョニーがあわてる。
「そうね、そうかもね。わたしも実はどうなるか気になるし。じゃあとりあえず行ってくるわね」
「ああ、行ってこい」
背中にジョニーのエールを受けて、サラはカウンターから出た。



お粥を乗せたお盆を持ちながら、サラはタイミングを計っていた。
親しそうに話す―――実際はオーフェンの質問攻めなのだが―――二人の間にいつ入り込めばいいのか分からなかった。
ちらりとジョニーを見ると、彼は手を振りながら早く行けとサラを促す。
(そんなこと言ったって、わたしウエイトレスなんてしたことないのよ)
なおもウロウロとしていると、クリーオウがこちらに気付いた。
まっすぐな碧い瞳にどきりとする。
すぐにオーフェンもサラに気付いた。
彼がこちらを振り向いたので、遠慮勝ちに近寄る。
「えーと、お粥、できたわよ」
「ありがとう」
クリーオウが笑ったので、彼女の前にお粥を置いてやりながらサラも微笑み返した。
「他に欲しいものがあったら言ってね」
それだけ言ってサラはジョニーのいるカウンターへそそくさと引き返す。
そして彼の太い腕を叩きながらジョニーにささやいた。
「近くで見るとますますかわいいわ」
「そうだろうな」
「世の中って不思議ね。どうしてあんなかわいい子がオーフェンを追いかけて来るのかしら」
「不思議だな」
二人で一緒に疑問符を上げながら、注意はオーフェンらに向けている。
興味津々の自分たちに対し、彼らはこちらを気にした様子もなく話していた。
「オーフェンはこの町にどのくらいいるの?」
「えーと・・・半年・・・くらいになるかな」
「ふーん」
クリーオウは相槌を打ちながら、彼に質問を投げかける。
「それまではどうしてたの?」
「いきあたりばったりに大陸を見てた・・・て、俺のことはいいんだよ。特に何も変わっちゃいないさ。それよりお前はどうなんだ?こんな旅なんかしてて体は大丈夫か?」
オーフェンが心配そうに彼女をのぞきこむ。
彼がこんなにも自発的に他人を気遣うのを見たのは初めてだった。
「すごいわね」
ジョニーに小声で話しかける。
「ああ。まったくだ」
何を、と説明しなくても分かってくれたようだ。
それだけ稀有なことだと改めて思う。というよりこれは、異常なことではないだろうか。
「うん・・・まあいろいろあったけどさ・・・大丈夫よ。もう落ち着いたし、こうして旅ができるまで回復したし」
のろのろとクリーオウがお粥を口に運ぶ。だがそのペースは、見るうちに遅くなっていた。声も、間延びしてきている。
「・・・眠いのか?」
「うん・・・ちょっと・・・」
言いながらも少女の体が、体重を支え切れずに前後に揺れだす。
オーフェンに会えたことに安心して、疲れを思い出したのかもしれない。
「宿は?もう取ってあるのか?」
「ううん・・・。オーフェンがここにいるかもしれないって聞いて、まっすぐに来たから・・・・」
「そっか。分かった。ジョニー」
オーフェンが再度こちらを振り返る。
「部屋、空いてたよな。こいつ、泊まらせてやってくれるか?」
「なに?一緒に寝ないの?久しぶりに会ったの、に!痛い!」 間を置かず頭をはたかれる。
後頭部をさすりながら恨みがましくジョニーを見上げると、彼は目線で
オーフェンらを指した。
オーフェンは半眼になってこちらを見つめてくる。
クリーオウはすでに半分寝ている状態になっていて、先ほどの発言は聞いてなかったようだが。
サラは、はは、と苦く笑った。
「そうね。ちょっと・・・下品だったかしらね」
隣でジョニーの嘆息が聞こえた。
「ああ。これでも一応宿屋だからな。ゆっくり休んでってくれ」
眠気も限界に近いのか、少女は微笑で礼を言った。
それから、クリーオウはのぞきこむように彼女を見ているオーフェンの方を向く。
「オーフェンは?」
「俺か?俺もここに泊まってる。あそこにいるでっかい奴な、見かけと違っていい奴だから」
「おい」
ジョニーが声を上げるが、それは黙殺される。
「あいつがお前に何かしようとしても、俺がちゃんと気付いて半殺しにしてやるから」
「そうじゃなくてね」
クリーオウが苦笑し、そしてオーフェンを真摯に見つめる。
「オーフェン、わたしが寝てる間にどこかに行ったりしない?」
少女の彼を見つめる瞳は、不安でたまらないという色で満たされていた。
迷子になった子どものような。
オーフェンがそれに気付いたかは分からないが、彼は笑った。
「ここにいるよ。王都でも、いきなり出ていったりはしなかっただろ?」
「そうね」
少女が弱く笑ってうなずいたのを確認し、オーフェンが小さな金髪をなでる。
「だから安心して寝―――」
彼はそこで言葉を切った。
「どうした?」
ジョニーが訝しげに問いかける。
「寝た」
オーフェンはクリーオウの頭を支えたまま、呆れたように答えた。
「寝てるの?そんな体勢で?」
「だって実際に寝てるし」
困ったようにこちらを見る。
「よっぽど疲れてたんだろうなあ」
「相変わらずのじゃじゃ馬だな、こいつは。とりあえずこいつ、部屋に運んでくるわ」
言いながらオーフェンが、いすに座ったまま寝てしまった彼女を丁寧に抱き上げる。
彼の腕の中で眠るクリーオウは、とても幸せそうだった。
「かわいい子ね」
サラは少女の寝顔を見てつぶやいた。
言ってから、彼女の何に対してそう思ったのか、わからないことに気付く。
クリーオウの容姿は確かに可愛いらしいものだが、それに対してではないと思った。彼女の内面だろうか。はっきりとした答えは見つからない。
だが、オーフェンは笑った。
苦笑するだけで、肯定も否定もしなかったけれど。
しかしその表情は彼女をとても大切に思っているものだ。
それだけは、確信できた。



オーフェンがクリーオウを部屋に運んで2階に上がってから数分後、食堂の扉がノックされた。
食堂には、予約は必要ない。普通の客なら予告もなしに入ってくるだろう。そのため先ほどのノックは、とても奇妙に思えた。
それとも姿の見えない客はよほど一般常識から離れた人物なのだろうか。
訝しく思ったが、出迎えに行こうとしないジョニーにサラは声をかけた。
「お客さんみたいよ。出てかないの?」
ジョニーは困ったようにぼりぼりと頭をかく。
「客なのか?しかし食堂の扉をノックして入ろうとするんなら変な奴だよな」
彼も同じことを考えたらしい。
もうすぐ夕食時なので客は来てもおかしくないのだが、ノックをして伺いを立てる人物ははじめてだった。
そうこう言っていると、今度は外から声をかけられた。
「あのう、すみません」
若い男の声だった。
透き通っていて、柔らかい。優しい声だ。
「はーい♪」
「おい」
ジョニーの突っ込みは無視して、少し期待をこめて入口までの距離を軽く歩く。
木でできた戸を開けると、夕焼けの光と共に、またも金色の髪をした人物が顔を見せた。
背はサラよりも少しだけ高い。まだ成長期という年頃である。瞳は緑色で、それを引き立てるように肌が白い。
まだ幼いが、美男子といっても差し支えなかった。
貴族。王子様。
王子様は、窮屈な暮らしに嫌気がさして城を飛び出したお姫様を迎えにきたのだろうか。
「クリスティーヌ、こんなところにいたんだね!?心配したよ。さあ、一緒に城へ帰ろう!」
といったように。
あいにくここにはお姫様などいない―――と思ったのだが、今日は別だった。
数分前までは確かに、お姫様のように可愛い女の子がいたのだ。
が、彼女は今オーフェンに連れられ2階で眠っている。
だとしたら彼らは三角関係だろうか。
しかもクリーオウの気持ちはたぶん、おそらく、きっとオーフェンにあるのではないかと思う。
サラは気の毒に思いながらも少年に説明しようとした。
「あのね王子様、お姫様は今ちょっと疲れて眠ってて、目付きの悪い魔法使いが」
「は?」
少年がきょとんと首をかしげる。
「すまないな。こいつ今興奮してるみたいで。気にしないでやってくれ。で、何か用かい?」
サラの様子に見兼ねてか、ジョニーがカウンターから出てこちらに歩いてくる。
「はい、あの、さっきここに、ブロンドの女の子が来ませんでした?」
王子様はやはりお姫様を探しているらしい。
扉の隙間から、こそこそと食堂の中を見回している。
「ああ、来てるよ。だけど彼女は今2階で眠ってる。一応あの子の知り合いが介抱してるんだが、やっぱりまずかったか?」
「いえ。じゃあ彼女1階にはいないんですよね」
「ええ、いないわよ。でもあなた、彼女を探してるんじゃないの?」
「あ、ぼくは彼女の後をついてきてはいますけど、別に探してるってわけじゃないんです。それで、今彼女を介抱してる知り合いっていうのはオーフェンさんですよね?」
「そうだ」
ジョニーが短く答える。
「良かった。あの、ぼくオーフェンさんに用があるので中で待たせてもらっていいですか?」
少年はここの主人がジョニーだと判断したのか―――その通りなのだが―――彼を見上げて尋ねる。
「ああ、もちろん」
ジョニーは扉を大きく開けて―――今まで半開きだった―――少年を招き入れた。

金髪の美少年はずるずると大きな荷物を2個引きずりながら店内に足を踏み入れた。
黒一色という服装はオーフェンと同じなのだが、似合っているとは言い難い。だが似合わないとも言い切れなかった。あと数年もすれば立派に着こなすかもしれない。
「ぼくはマジク・リンといいます。オーフェンさんには数年前に魔術を教えてもらってました。クリーオウとは幼馴染みです」
「ジョニーだ。この宿屋の主人だ、一応」
「サラよ。銀行で働いてて、この店の常連客」
3人でひとつの丸いテーブルを囲み、自己紹介を一通り終えて歓談する。
ジョニーが夕食でも作るか、と言ったところで、オーフェンが階段を降りてきた。
店内に少年の顔を見つけるなり声を上げる。
「マジク!」
「あ、オーフェンさん、お久しぶりです」
オーフェンは驚いた様子で階段を降り切り、こちらに駆け寄ってきた。
「どうしてお前、こんなところにいるんだ?」
何時間か前にクリーオウにした質問を今度は少年に問いかける。
それをジョニーが制止した。
「待て待て。とりあえずそういうことは飯ができてからにしてくれ。俺も興味があるんでな。すぐ作るからよ。しかも俺のおごりで今日は貸し切り」
「そうね。わたしもお腹空いてきたし、いろいろ聞いてみたいのよね。あ、何かまずいっていうんならもちろん退散するけど」
サラはオーフェンとマジクの顔をそれぞれ見ながら言った。
「別におもしろい話じゃないと思うぞ?たぶん内輪ネタになるだろうし」
「いいのよ。あんな可愛い子が一人で旅をするってことだけで興味が湧くのよ。わたしにはとても真似できそうもないもの」
「ぼくはかまいませんよ。ただ、クリーオウにはぼくがここに来たってこと内緒にしてもらえますか?ばれるといろいろとめんどうなんで」
「分かった」
ジョニーが包丁を高速で動かしながら笑って同意する。
「わたしも言わないわ。じゃあ、外に『CLOSED』の看板かけてくるわね」
言ってサラはこれから誰にも邪魔されないようにするため、いすから立ち上がった。



「で?お前はどうしてここにいるんだ?クリーオウはひとりで旅してるって言ってたぞ」
4人でテーブルを囲む。机の上にはジョニーの作ったとりどりの料理が並んでおり、各々好きなものをつまんだ。 先ほどからの空腹を料理を摂取することで抑え、一息ついたころにオーフェンは少年に尋ねた。
見ない間に成長したらしいマジクに彼は少々とまどっているようだが。
「えーと、どこから話せばいいのかな」
マジクは思案するように天井を見上げた。
どこから、と言われても、部外者であるサラにはほとんど分からないだろうから、どこでも大差ないように思える。
そのことを察してか、マジクは根本的なことから説明を始めてくれた。
「まずですね、オーフェンさんとクリーオウとぼくの3人は半年とちょっと、旅をしてたんです」
「区切りもついたからってんで、俺はこいつらと別れたんだ。マジク、お前変なことは言うなよ」
「分かってますよ。ぼくらの旅の最終地点は王都でした。クリーオウは体を壊しちゃって、少し休養してからトトカンタに戻ったんですが」
「そりゃ、あんなにか弱そうな子があんたみたいに頑丈なのと一緒のペースで過ごせるわけないものね」
サラはオーフェンを横目で見ながら言った。
それにオーフェンは自嘲ともつかない、曖昧な笑みをちらりと浮かべた。
その笑みの意味は理解できなかったが、彼にも何か複雑な言い訳があったのだろうと勝手に納得する。
マジクはうなずいて続けた。
「王都からトトカンタに帰るまで数週間。クリーオウは衰弱してたのか、体調がすぐ変化してしまって、のんびり戻ったんですけど。結局、クリーオウがある程度元気を取り戻すのに数ヶ月かかって―――」
オーフェンがマジクの話を聞いて机の上で指を組み合わせ、かすかに目を伏せる。
ジョニーも彼の様子に気付いてか、声をかけた。
「どうかしたか?」
オーフェンは息を吐いて頭を振る。
「いや―――いいんだ。で、それから?」
マジクも心配そうにオーフェンを見ていたが、元の位置に戻ってまた話し出す。
「はい。クリーオウが元気になったので、ぼくもまた旅をしようと思ったんです。旅っていうか修行なんですけど。魔術の勉強もなんだか中途半端でしたし。タフレムでレティシャさんが、いつでも面倒見てやるとも言ってもらってたので」
「レティシャ?」
「レティシャ―――ティッシ。俺の姉で最高の魔術士のひとりだ」
少年の説明の不足をオーフェンが付け足す。
なんとなく、息が合っていた。
元師匠と弟子という関係は伊達ではないのだろう。
「レティシャさんにはそう言ってもらったんですけど、ぼくはフォルテさんに教えてもらおうと思ってて」
「フォルテ?」
今度はジョニーが問う。
「フォルテってのは俺の兄弟子。同じく最高の魔術士のひとり」
「すごい知り合いがいるのね、最高の魔術士って」
「ああ、まあな」
オーフェンが軽くうなずく。
「実際タフレムに行ったら、なんだかわからないけどフォルテさんは入院中だったんです」
「何だよ、入院って」
怪訝そうにマジクに問う。
サラにはフォルテという人物との面識はないのでどうでもいいように思った。当事者ならば無視できないだろうが。
「知りませんよ。レティシャさんは何も言わないし。とにかくフォルテさんが退院するまでレティシャさんに教えてもらってたんですけど。でも、実際フォルテさんが教えてくれるようになっても、彼女ときどきぼくを呼び出したりするんで、今師匠は二人いるような感覚なんですけど」
マジクがごにょごにょと言い澱む。
「一年くらい経って少し長い休みがもらえたので、トトカンタに帰ったんです。父さんに顔を見せに。クリーオウも気になってましたし。で、クリーオウの家に行ったら、彼女いきなりオーフェンさんに会いに行くって言い出して・・・」
サラはジョニーと同じタイミングで首をオーフェンの方に向ける。
「何したのよ、あんた・・・」
「たぶらかすようなことでも言ったのか?」
オーフェンは複雑そうに笑みを浮かべただけで何も言わない。
マジクは疲れたような声を出した。
「いくらなんでも無茶だと思いませんか?レキがいるからって、他も問題ならいくらでもあるだろうし」
「そうねえ」
サラは笑って相づちをうちながら、同時にそんな決断を出せるクリーオウを尊敬した。
「急いでそのことを二人の先生に伝えたら、フォルテさんが『クリーオウの後を彼女にばれないように追え』って手紙が来て。さらにレティシャさんからは『もしクリーオウに何かあったりばれたりしたら、死ぬほどしごいてやるから覚悟しておけ』って・・・。というわけでこうしてクリーオウの後を追っていたわけです」
「なんだか、癒されるようなお話ね。現代には失われてしまった純粋さだわ」
マジクの話を聞いて、サラはしみじみとつぶやいた。
(オーフェンにはもったいないくらい健気だわ)
サラの視線の意味を悟ったのか、オーフェンは憮然とする。
マジクは苦笑して言ってきた。
「たしかに彼女は純粋かもしれませんけど、そんなにいいもんじゃありませんよ、現実は」
「え?」
サラはきょとんと首をかしげる。
「クリーオウはこうと決めたら一直線ですからね。こっちのことなんて気にせずに危ないことをたくさんしてます」
「だろうな」
オーフェンが確信したようにうなずく。
「たとえば?」
「たとえば、質の悪い酔っ払いのいそうな酒場へ、オーフェンさんのことを聞くために平気で入って行ったりしますし」
「勇気あるわね」
「何も考えてないだけだ」
「街中で男に声をかけられようものなら、ところかまわずレキの魔術使おうとするし」
「あれだけかわいけりゃナンパも多いんだろうな」
「さあ、どうなのかは知りませんけど。ナンパなのかなあ?」
マジクが首をかしげる。
「レキの魔術はあまりにもまずいので、ぼくが毎回遠くから魔術で男を追い払うんですが」
「褒められるもんじゃないが好判断だと言っておこう」
「ありがとうございます」
オーフェンに向かって頭を下げる。
「他も言い出したらきりがないんですが」
「そんなにあるのか?」
「あいつをそこらの娘と同じように見るのは間違いだぞ」
「そうですよ。ちなみに旅の中で、ぼくにとって一番つらい経験だったのは野宿のときなんですが」
「やっぱり本当に野宿してたのね」
驚きを混ぜた声で少年に問う。
クリーオウの言葉を信じてないわけではなかったが、信じられてもいなかった。
マジクはあきらめたように笑う。
「もちろん宿があればそっちに行きますけど、野宿でもクリーオウはあまり頓着しませんから。さっさと準備してすぐに寝ちゃいますよ。一応焚き火はしてますけどね、でもそれだけです」
オーフェンが深く嘆息する。
「あいつはどうしてそこまで無防備でいられるんだろうな・・・・・」
「そうですよね。だからそういう日は、ぼくが夜通し起きてなきゃならないんですよ。盗賊らしき人たちが彼女に近づこうとしたのも一度や二度じゃありません。その度にぼくが魔術で。時にはなれない格闘もありました」
そんな少年の苦労話を聞いて、夜は更けていった。



「では、ぼくはこのへんで失礼します」
深夜の2時を過ぎたころ、マジクは言った。
虫たちもすでに寝静まり、宿の外からは何の音も聞こえてこない。こんな辺境の村では、祭りでもないかぎり、道をふらふらと歩く酔っ払いもいない。よって聞こえる音というのは、自分たちが作りだすものだけだった。
「なんだ?今からどっか行くのか?泊まっていけばいいじゃないか。どうせここは宿なんだから」
「そうよ、マジク君」
サラとジョニーがいすから立ち上がったマジクを引き止める。
「いえ、クリーオウに見つかっちゃうと追加の課題が山ほど出るんで。もともと違う宿に予約してたんです。それにクリーオウがオーフェンさんに会うまで後をつける、って約束だったので」
「一日くらい、ばれないんじゃない?」
言ってみるが、マジクは首を横に振る。
「定期的にフォルテさんとレティシャさんに連絡を取っているんですが、二人とも忙しいらしくて。早く手伝ってあげようと思ってるんです。ぼくでも、必要とされてるみたいだから。なので明日は早く起きてタフレムに向かいます」
「大変そうだなあ」
マジクが照れたようにうなずく。
「でもぼくもオーフェンさんに会いたいと思ってたのでいい機会でしたよ」
「ああ。俺もお前に会えて良かったよ」
「オーフェンさん」
唐突に名前を呼んでマジクがまっすぐにオーフェンを見据える。
「クリーオウのこと、お願いしますね」
「分かった」
「ではぼくはこれで。ごちそうさまでした。さようなら」
言ってマジクが頭を下げ、部屋の隅に置いてあった荷物を持ち上げる。
「マジク君、荷物、もうひとつ忘れてるわよ」
出ていこうとする少年をサラは呼び止めた。
彼がここに来たとき、マジクは2個の荷物を運んできた。
残りのひとつが忘れられたように無造作に床の隅に置かれている。
「ひとつは、クリーオウのものなんです。彼女、オーフェンさんがここにいるかもしれないって聞いたら荷物置いて走ってちゃったんです。だからぼくがここまで運んだんですけど。この荷物は、オーフェンさんのことを教えてくれた人が運んでくれたとでも言っておいてください。じゃあおやすみなさい」
「分かった。今日は楽しかったよ。元気でな」
「さようなら」
「またな、マジク」
「ええ。みなさんも元気で」
言ってマジクは、笑みを浮かべて部屋から出ていった。




        ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




テーブルの上に置かれた、たくさんの食器を流し台に運ぶ。
運んだ皿を水と洗剤を使って汚れを落とす。
綺麗になった皿を布巾を使って水気を切り、食器だなに並べる。
店内にあるすべてのテーブルを濡れた布巾でふく。
ほうきを使って床を掃く。
習慣づけた仕事をすべて終え、ジョニーはようやく息を吐いた。ノルマをすべて片付けた後は、彼の自由時間だ。客は全員寝ているので―――サラは自分の家に帰ったので二人だけであるが―――ひとりだけの時間を過ごす。
宿を経営しているため朝は早いのだが、彼は睡眠時間をあまり必要としないタイプの人間だった。
ジョニーは棚から、自分専用の酒とグラスを取り出した。
(それにしても今日はなかなか興味深い一日だったな)
日付の上では昨夜のことであるが、ジョニーは朝起きてから日付をカウントしていた。一日は日が昇るってから始まるのである。
(金髪を見たのも初めてだ。本当に金だったな)
独りごちながら、いつもは客が使っているいすに腰を下ろす。丸いテーブルに酒瓶を置き、片手でグラスに酒を注ぐ。
と。
2階から軽い足音が聞こえてきた。
あたりは静寂に包まれているため、小さな音であっても響く。足音は体重をあまり感じさせないもので、男ではないと判断できた。
そうなると、該当する人物はひとりしかいない。
ジョニーが階段を見つめていると、人影があっさりと姿を見せた。
金髪の小柄な少女―――クリーオウだ。


彼女は不思議そうにこちらを見つめてきたので、彼は人好きのする笑みを浮かべた。
「目が覚めたのか?」
「うん。明かりが見えたから降りてきたの」
自分の体格を見て、クリーオウが怯えるかと思ったが、彼女はこだわりなくこちらに近付いてきた。
「君―――」
彼女の話は先ほどからさんざん聞いていたので親しみを感じるのだが、実際に話すのは初めてである。いきなり名前を呼び捨てにするのはためらわれた。
「クリーオウよ」
だが、こちらの気後れとは別に少女―――クリーオウは気楽に笑いかけてくる。
ジョニーは彼女のあまりの気安さに思わず笑った。
もっと気難しい娘だと思っていたのだ。
「?」
首をかしげるクリーオウにジョニーは笑いをかみ殺した。
「いや、なんでもないんだ。笑ったりしてごめんな。俺はジョニーってんだ。よろしくな」
「よろしく。昼間はありがとう」
「どういたしまして。君みたいなかわいい子が来てくれて嬉しいよ。ところでクリーオウ、ミルクでも飲むか?温めてやるけど?」
顔をのぞき込んで言うと、彼女は顔を輝かせた。
(いやあ、かわいいなあ。いろいろと面倒見たくなる気持ちが分かるわ)
ジョニーは立ち上がりながら胸中で独りごちた。
「はい、どうぞ。熱いから気をつけろよ」
言ってマグカップをクリーオウの前に置いてやる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
自分は酒を、彼女はミルクを飲みながら他愛ない雑談をする。
体を暖めれば、またすぐに眠れるだろう。
そんなことを考えながら話していると、クリーオウが少し声のトーンを下げた。
「昼間の女の人さ」
「昼間の女?ああ、サラか?」
「サラさんっていうの?ポニーテールの人ね。あの人は、オーフェンの恋人なの?」
なかなか率直な質問に一瞬息をつまらせる。
が、ジョニーは彼女を安心させるように間をあけずに答えた。
「別に違うだろ。オーフェンはここに来てからは毎晩うちで寝てるし。それに―――」
クリーオウに対する態度は明らかに違う、ということは言わないでおいた。
「それに?」
クリーオウが碧い瞳でこちらをのぞきこんでくる。
「それに―――ええと、男同士だからな、そういうのは分かるんだ」
適当な嘘でごまかす。
実際は男同士でなくても、オーフェンの態度を見れば一目瞭然だった。
それに本人たちが気付いているかは別にしても。
「それより―――クリーオウはどうしてあいつを追ってきたんだ?」
言ってから、自分の失態に気付く。
それは、聞いてはいけない質問だった。
聞いたところで自分がどうこうすることもできないし、何かをするつもりもない。
クリーオウにはただの興味本位に尋ねたと思われるだろう。
嫌な思いをさせてしまったかもしれない。
だが―――
「どうしてって聞かれても、あまりよくわからないの」
クリーオウは曖昧な笑みを浮かべて言った。
「わたしは、オーフェンと別れてから、ずっと寂しかった。マジクもタフレムに行っちゃったし・・・。友達はたくさんいるんだけど、旅をしてたからかな、いろんな場所をもっと見てみたいって思ったの。・・・どうせ旅に出るんだったら・・・オーフェンに会いたいなって・・・」
「うん」
「オーフェンのことが好きなのかもしれない。だけど今日オーフェンに会って、自分の気持ちが、よくわからなくなって」
クリーオウが自嘲気味に笑む。
「実は好きじゃなかったとか?」
「ちょっと違うかも。今日―――オーフェンに会って―――」
少女がそこで言葉を切る。
だがジョニーは先を促そうとはしなかった。
クリーオウはとても大切な話をしている。たぶん、初対面の自分が聞くべきではない話を。だからここで全部話さなくとも良いのだ。
沈黙が続いたため、ジョニーが話題を変えようと口を開きかけるとクリーオウが笑ってそれを制した。
息を吸って、再び続ける。
「オーフェンに会って―――わたしは、やっぱりオーフェンが好きなのかなって思った。会えたのは本当に嬉しかったから。だけど・・・嬉しかったんだけど、寂しかった」
「寂しい?」
好きな相手に会えたのにどうして寂しいのだろうか。嬉しいだけではないのだろうか。
いまいち理解できずにうなる。
彼女はうなずいた。
「オーフェンって、根無し草ってタイプじゃない?今みたいに滞在することもあるんだけど、いつかはどこかに行っちゃうような」
「そうだな」
脳裏にオーフェンを浮かべて同意する。何も持っていなくても、どこへでも行けそうだと思わせる男だった。
「オーフェンにはやっと追いつけたんだけど。だけどまた、どこかに行っちゃうんじゃないかなって。しばらくは、わたしが望む間はそばにいてくれるんだけど、やっぱりいつかはわたしを残して行っちゃいそうで。そう考えるとすごく、寂しくって」
「そうか」
「うん。このことは誰にも内緒よ。特にオーフェンには」
「もちろん」
ジョニーが笑うと、クリーオウも笑った。
「オーフェンに会ってもそんなことばっかり考えてるのはもう嫌だから。だからわたしね―――」
少女はまっすぐな瞳で、はっきりと言った。




        ◆     ◇     ◆     ◇     ◆




「お前にしてはめずらしく早いな」
階段を降りるなりそんな声が聞こえた。
「あー、なんとなく起きなくちゃならんような気がしてな」
オーフェンは答えながら、のそのそとテーブルについた。
服はもう着替えてある―――いつもの黒ずくめ。あと朝食を食べれば準備万端だった。何の準備かは自分でもよく分からないが。
「ジョニー、朝飯」
「言われなくても作ってるよ」
「ふーん」
まだ眠気が残った体をテーブルにあずけてうめいた。
「おい」
「なんだー?」
ジョニーに呼ばれて生返事をする。
「昨日というか夜中な、クリーオウ―――ええとクリーオウちゃんが起きてきて、話をしたんだよ」
「へえ?」
眉を上げてジョニーの方を見た。
彼は機嫌良さそうに笑っている。
「それで?」
「ああ。すごい子だったよ。弱そうに見えるのに強いっていうのかな、あれは。でもかわいい。見守っていたいような、庇護欲が剥き出しになりそうだったよ」
「褒めすぎだろ」
思わず苦笑する。
「いや、そんなことないだろ。昨日の話聞いても誰もが彼女のこと見守ってるみたいだし。お前だって例外じゃないんだぞ?」
「そうか?そんなつもりはないけどな」
疑問符を上げていると、ジョニーが朝食の乗った皿とグラスを持ってきた。
それらをテーブルに置いて、めずらしく隣のいすに座る。そしてまっすぐに彼はオーフェンの瞳を見据えた。
「あれだけ大切にしておいて、どうして別れたりしたんだ?」
真剣に問われ、返答に迷う。
まじまじとジョニーの目を見返したが、彼は目をそらさなかったため、オーフェンは深く息を吐いた。
「駄目になると思ったからかな」
「なにが?」
「クリーオウだよ」
「クリーオウ?」
オーフェンはうなずいた。
「マジクも含め、俺たちにはけっこういろいろあった。そうだな、世界が滅亡する瀬戸際のような」
揶揄するような、それでいながら事実であることにオーフェンは笑った。
ジョニーは分からないといったような顔をしたが、かまわずに続ける。
「俺も、大切なものをなくして、ひとりになりたかったっていうのもあるな。心の整理をつけたかった。心機一転っていうのも。それくらいできるだけの気力はあった。でもクリーオウの場合は―――立ち上がれないくらい に落ちたんだと思う。なんだかんだで一番の原因は戻ってきたから、そこらへんは救われたんだ。でも」
そこで言葉を切る。
何と言って良いのか、自分でも分からない。
大きく息を吸って、吐いた。
「あのままそばにいてやっても、良かったかもしれない。でも―――それをしてしまったら、あいつは枯れると思ったんだよ」
「枯れる?」
人を植物のように喩えたのが悪かったらしい―――ジョニーが怪訝そうに聞き返した。
「枯れるっていうのは、極端かな。そうだな、あいつはあの時、身体的にも精神的にも限界を越えた」
その時のクリーオウは今でもよく覚えている。
世界のすべてを拒絶し、誰の手も取らない。何も食べずに体力だけを消耗していく。数日で精神的にはだいぶ落ち着きを取り戻したのだが。自分自身も忙しくて、あまりそばにいてやれず、合間を縫って見た少女は、本当に死んでしまいそうだった。
「衰弱した人間にはある程度支えが必要なんだろうけど、あの時俺がそれをしたら・・・クリーオウはもう支えなしじゃ立てなくなるような気がしたんだよ。俺に依存してしまいそうな気がな。俺はあいつの―――迷惑なくらい元気だった時を知ってる。だからそれに近付いて欲しかったのかもしれない。自分の力でな」
言い終えて、オーフェンは深く呼吸した。
「昨日いきなり来たことは驚いたが、まあ元気な姿が見れて良かったかな」
軽く笑う。
突然の訪問も、彼女らしいといえる。
「それにしても」
「あ?」
「めずらしいな」
「何がだよ」
「クリーオウ。あいつはいつも早起きだったんだが。まだ疲れがたまってんのかな」
2階への階段を見ながらつぶやく。
旅をしていた頃、オーフェンやマジクと違い、彼女はかなり早い時間から起きていた。そして朝食を作っては彼を苦しめたのだが、それも今ではなつかしい。
「ああ、彼女なら」
ジョニーが立ち上がり、オーフェンが食べ終わった朝食の皿を片付けだす。
「もう出てったぞ」
ジョニーの軽い返答に彼は眉根を寄せた。
「出てったって・・・どこに?買い物か?」
「買い物ではないだろうな。でかい荷物持ってたし」
「まさか旅に出っていうのか?」
こちらの心配をよそに、ジョニーはどこまでも軽薄だった。
「そうなんじゃないのか?」
「どうして早く言わなかったんだ?」
だんだんと苛立ちが募る。
オーフェンは目の前で食器を洗う男をにらんだ。
「どうしてお前に言う必要があるんだ?」
「どうしてって・・・」
オーフェンは言葉を詰まらせる。
彼はジョニーから目を逸らし、舌打ちした。
「とにかくあいつを連れ戻してくる」
「連れ戻してきてからどうするんだ?」
ジョニーは皿を洗う手を止めて、オーフェンの正面へ回った。
「彼女をここに連れてきて、それからどうするんだ?お前が家まで送ってやるのか?家に帰ったところで、また彼女が旅に出たいって言ったらどうするんだ?」
「なんなんだ?」
説教のような口調で言ってくるジョニーに、訳が分からず毒づく。
「さっきお前が言ったように、クリーオウはもう新しい世界を生きてるんだよ。お前が望んだようにひとりで立ち上がった。それに彼女はもう大人なんだ。いちいちお前の了解を取る必要はないだろ」
「それでも、いきなりはないだろ」
「俺に言うなって」
ジョニーは呆れたように目を丸くする。
「クリーオウはどこに行くか言ってなかったか?」
かなり自分との距離が縮まった場所に立っている大男を見上げ、問いただす。
「言ってない。お前が探し出せよ。クリーオウがお前を見つけたようにな」
「使えないな、お前は」
悪態をつきながら宿の出口へ向かう。
「ちなみにクリーオウが出て行ったのは、お前が起きてくる30分前だからな」
オーフェンは返事の代わりに、扉を力いっぱい閉めた。




どちらへ向かったかも分からないクリーオウを、勘を頼りに探す。
トトカンタから遠くなるという理由だけで、オーフェンは東に伸びる街道を選んだ。
30分ほど全力で走り、反対方向に引き返そうとしたところで見慣れた―――だがしばらくは見ていなかった長い金髪の後ろ姿をみつけた。
「クリーオウ!」
走りながら彼女を呼び止める。
「オーフェン」
クリーオウは素直に立ち止まり、こちらの名前を呼び返した。
「どうしたの?」
少女は荒く息を吐いている彼をのぞきこむ。
「どうして、何も言わずに出て行ったんだ?」
「・・・・・・・・」
クリーオウは何も答えない。
オーフェンはさらに問いかけた。
「お前が昨日寝る前に言っただろ?寝てる間にどこにも行くな、って。なのにお前がそれをしてどうするんだよ」
ようやく整ってきた息を声に変えて、少女を見る。
「ごめんね」
と、一応謝罪の言葉を述べてはいるが、少女は悪びれた風もなく笑った。
「昨日は疲れてたせいで、変なこと口走っちゃったみたい」
「失礼だぞ、俺に対して」
憮然と言い返す。
なにがおかしいのか、彼女はまた笑った。
「というのは冗談で、ふかふかのお布団でぐっすり寝たら、気が変わっちゃって」
「それも失礼だな。てか、嘘だろ」
「どうして嘘だって分かるの?」
クリーオウが不思議そうに首をかしげて聞いてくる。
オーフェンは短く嘆息して答えた。
「長い付き合いだからな。なんとなくわかるんだよ」
「うん。でも・・・長いようでも、言うほどは長くないのよ?」
クリーオウは上目遣いに言ってきた。
彼はそれを素直に認める。
「そうかもな。で?俺に内緒で出て行った理由は?」
「んー」
少女はうめいて口を尖らせた。
しばらく呻き声を上げ、小さくつぶやく。
「会いたくなかったから」
「はあ?」
予想外の返答に、オーフェンは間抜けた声を上げた。
クリーオウ地面をにらみながら続ける。
「だから・・・オーフェンには会いたくなかったのよ」
「なんで」
彼女はちらりとこちらを見て、またすぐに視線を外した。
しばらく視線をさ迷わせてから、結局こちらを見ないままクリーオウが口を開く。
「だって、オーフェンに会ったら聞かなくちゃいけなくなるでしょ?・・・オーフェンが言わなかったとしたら、今度はわたしが言わなくちゃいけなくなるもの」
「なんて?」
短く、言葉でクリーオウを促す。
彼女は困ったようにもごもごと口を動かした。
「もう一回」
聞き取れなかったため、再度要求する。
すると今度ははっきりと―――というより大きな声で言ってきた。
「さようなら」
少女はすねたようにオーフェンを見た。
「わたし、『さようなら』って単語、オーフェンが行っちゃってから、言うのも聞くのも大嫌いになったのよ。だから、その前に出てきたの」
堅く口を結んだ彼女に、何を言おうか思い浮かばない。
だがクリーオウは、こちらの返答を期待していたのではないらしい。
口許に優しい笑みの形を作る。
「でも、会っちゃったから言わないとね」
クリーオウは決心したように小さく息を吸った。
「さようなら」
それだけ言うと、すぐにこちらに背を向ける。
そのまま彼女は荷物を抱え直し歩きはじめた。
「お―――おいっ」
オーフェンはあわてて彼女の正面に回り込んだ。
クリーオウは不思議そうに彼を見た。
「どうかしたの?」
どうもしない。
特に理由もない。
話すことは山ほどあるが、言い忘れたことはない。
いつかと同じように、今度は彼女が一方的に別れを告げただけだ。
だが、このまま彼女と別れるのは戸惑われた。
「お前ひとりだけじゃ心配だからな。トトカンタまで送るよ」
「わたし、まだトトカンタに帰ろうとは思ってないの」
クリーオウははっきりと言った。
「そうか。じゃあどこに行くんだ?そこまで一緒に行くから」
「まだ決めてない。それにオーフェンに来てもらわなくても大丈夫よ。今までだってひとりで来れたんだから。レキもいるし」
自信ありげに胸を張る。
「ひとりって、それは本当は―――」
クリーオウに抗弁しようとして口をつぐむ。
彼女が信じていることを彼が壊してはいけない。
「マジクでしょ?知ってるわよ」
オーフェンは眉間に皺を寄せた。
「気付いたのは1ヶ月くらいしてからだけど。だってあまりにも不自然なことが多すぎるもの。いきなり突風が吹いたりとか。野宿で朝起きたら、ちょっと遠くのところに、数人の男の人が倒れてたりとか。それに、何度かマジクの姿を見かけたし」
「知ってるならどうして一人で旅をしようとするんだ!?何かあったらどうするつもりなんだ!」
オーフェンは思わず声を荒げた。
それに対してクリーオウは冷静ともいえる声音で答えてきた。
「必要ないもの」
「なに?」
うめく。
「必要ないわよ、そんなの。だって、オーフェンは、これからずっとわたしと一緒に旅をしてくれるなんてことないでしょう?マジクだって、あの子の決めた道があるもの。いつかは、ふたりともわたしの前からいなくなる。だったら・・・・今からひとりで旅をしようが5年後に旅をしようが同じことじゃない!」
「だけど・・・・・」
沈黙が落ちる。
彼は何も言わなかった。
言えなかった。
所詮、自分と彼女は、他人だった。
そんな関係でしかなかった。
彼女を守るには決定的ななにかが足りない。
まだ何も理由がない。
彼女を守らなくてはならない理由がない。
守りたいという気持ちだけでは足りない。
「わたしはもう、『知り合いから預けられた子ども』じゃないわ」
彼女はまっすぐにこちらの目を見つめて、言った。
「わたしは、自分の意思で旅をしようと決めたの。だからオーフェンは、わたしを守らなきゃいけない理由はないの」
「クリーオウ―――」
彼女の名前を呼んで、腕をつかもうとする。
クリーオウは後ろへ一歩さがってそれを拒んだ。
「わたしはずっと大切に思えるものを探しに行くの。『今だけ』なんかいらない」
彼女の瞳はこちらから逸らされることはない。
まっすぐにそれを見返し、オーフェンは2歩踏み出した。
強引に彼女の腕をつかむ。
「放して!」
クリーオウがとうとう叫んだ。
彼女がこちらの手を振りほどこうともがいたが、オーフェンは細い腕を放すつもりはなかった。
彼女は一生懸命にこちらから逃れようとしたが、彼は力を弱めなかった。
それを悟ってか、クリーオウは暴れるのを止め、深くうつむく。
「じゃあ・・・オーフェンは、ずっとわたしと一緒にいてくれるっていうの?」
クリーオウは泣きながら、嘲るように言った。
オーフェンが答えようとする間にも、ポタポタと彼女の涙が地面に落ち、吸い込まれていく。
それをぼんやりと見つめ―――クリーオウの腕を強く掴んだままだったことに気付いた。
あざになりそうなくらいの強い拘束を解くと、クリーオウがびくりと震える。
オーフェンは指を滑らせ、彼女の手を握った。
その手を軽く引いて、クリーオウを抱き寄せる。
空いているほうの手で柔らかい金髪を撫でながら、オーフェンは答えた。
「お前がそれでいいんならな」
「え?」
クリーオウが涙の溜まった目でこちらを見上げてくる。
どうやら自分で言ったことを忘れてしまったらしい。
オーフェンは苦笑してもう一度言い直した。
「クリーオウが俺を望んでくれるんだったら、俺はずっとお前と一緒にいるよ」
彼女は揺れた瞳で、こちらを見上げたまま、つないだ手を強く握った。
「・・・どうして・・・そういうこと言うの?」
「うん?」
沈黙を挟んで、クリーオウがこちらの胸に顔を埋め、泣いたまま聞いてくる。
「それってプロポーズよ」
言われてから気付く。
オーフェンはクリーオウを腕に抱いたまま、虚空を見上げた。
眼前に広がるのは青い空ばかり。
見つめていると、2羽のつがいらしき鳥が横切っていった。
彼らはどうして共に行動するのだろうか。
(そういえば俺も、寂しかったな・・・)
寂しいと思うのなら、離れなければいい。
守りたいと思うのなら、そばにいればいい。
「ずっと一緒にいるよ。お前がそれを望んでくれるんならな」




いつまでも。



どこまでも。






(2003.10.17〜19)
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