エディプスコンプレックス
ようこそ、パラレルの世界へ。
ぼくは今、父と母と3人で暮らしています。
しかし最近、父の存在が邪魔でたまりません。
というのも、父は母にくっついてばかりなので。
ぼくは母さんといたいのに。
午前の太陽の光が部屋に注がれる中、ぼくはソファに座り黙々と雑誌を読んでいた。
主に見るのは料理のページと占いのページ。
あまり興味のない内容だが、母が買った本というだけでそれなりに楽しめる。
それにこの本について、母と話ができることが楽しみだった。
ちらりと壁を見やる。
白い壁にかけられた時計は、9時35分を刻んでいた。
いつもなら学校にいっている時間だが、今日はその学校も休みであるため、休日は思う存分母といられる。
そのはずだ。
(母さん早く起きてこないかな・・・)
雑誌に目を落としたまま、ぼくは胸中で呟いた。
休日である今日は、彼も休みだが母にとっても休みだった。
クリーオウはいつも、父やぼくのために早起きをして朝食の準備やら弁当などを用意してくれる。
その日ごろの感謝を込めて、我が家では休日の朝、母は早くから起きなくて良いという規則をもうけた。
他の家ではあまり見られない現象らしいが、彼女のことを愛していれば当然のことのように思う。
それについては父も同じ意見だったようで、あっけなくそれは決まり休みのたびに実行されていた。
ちなみにその規則は母がねだったものではなく、男同士で勝手に作ったものである。
はじめのうちは遠慮していた彼女だったが、今ではそれにも慣れたようでゆっくり寝坊してくれることが嬉しい。
母が喜んでくれることが自分にとって――父にとってもそうらしい――何よりのプレゼントだった。
「あれ?早いな」
と、そこへ聞きなれた声が響く。
ぼくは無表情でそちらへ顔を向けた。
今二階から降りてきた相手は確かめるまでもない。
ぼくの父――オーフェンだった。
自分にとって最大の、そして最強の敵。
最高の黒魔術士だとか、暗殺技能者だったとか、
そんなことは問題ではない。
いつもいつもいつもいつも
――中略――
いつもいつも母といる
父
の存在
が
邪魔
で仕方なかった。
「おはよ、父さん」
挑戦的な視線を投げかける。
それに気付いた様子もなく、眠そうなオーフェンが返事をした。
「ああ、おはよう。朝飯は?」
「作ったよ、もう」
ぼくはふふん、と勝利の笑みを浮かべる。
すると父は文句ありげに顔をしかめた。
「お前、俺が作るっていつも言ってんじゃねーか。何度言ったら分かるんだ?」
「そんなこと言われても父さんが起きるのが遅いんだよ。それに、朝食は暇な人間が作るって決めたんだし」
「たまには俺に作らせてくれてもいーじゃねーか」
「知らない」
ぼくはそっけなく答え、再び雑誌に視線を落とした。
オーフェンは少し離れた距離で舌打ちする。
それを聞いて、ぼくは再びくすりと笑んだ。
自分達が朝食を作りたがるのには、理由がある。
規則でも母をわずらわせないよう『朝食は作れるものが作るべし』としたのだが、実際朝食を作ると、母はいつも褒めてくれた。
時には失敗することもあるのだが、それはそれで文句を言いながら
笑ってくれる
。
父とぼくとどちらが作ったとしても喜んでくれるのだが、
どうせなら自分に笑いかけてもらいたい
。
よって彼は休日のたびにあまり寝坊をせず、母(と父)のために朝食を作っていた。
ちなみに父も朝食を作りたがるのだが、今日のように出遅れることが多かった。
「母さんは?」
「んー、もうすぐ来るだろ」
ということは、もう起きたのだろうか。
もうすぐ母に会えるという情報は嬉しい。
しかしこれはいつも思うのだがライバルである父から教えてもらうのは、とても悔しかった。
夫婦だから、という理由で父はいつも母と同じベッドで眠っているのだ。
母が部屋で起きているか寝ているか、自分は知ることができないのに。
そんな暗い思考を消すように、明るい声が階段の方から聞こえてきた。
「おはよう」
その声に、まだ記事を読んでいる途中だったが、ぼくはかまわず視線を上げる。
金色の髪を長く伸ばした母が、
こちらに向かって微笑
んでいた。
白いワンピースは彼女のお気に入りで、
とても似合って
いる。
母は、ぼくが今まで見てきた
どの女性よりも可愛
かった。
自分の母親なのに、
彼女のことが好きでしょうがない
。
彼はうっとりと、夢見るような心地であいさつを返した。
「
おはよう、母さん
」
「すっごくいい香りがするんだけど、今日も朝ごはん作ってくれたの?」
「うん。今日は新しいメニューにチャレンジしようかなと思ってバナナパンケーキを作ってみたんだ、母さんの好物の」
言って、得意げに胸を張る。
すると予想通り、パッとクリーオウの表情が輝いた。
「ほんと?」
「ちょっと失敗しちゃって焦げたけどね。その分はとーさんの」
「はあ?」
ぼくのレパートリーが増えたこと――しかもクリーオウの好物――にショックを受けたオーフェンが、ますます顔を険しくする。
すぐさま息子に反論してきた。
「ちょっと待てよ。どうして俺が焦げたパンケーキを食わなきゃなんねーんだ!?作った奴が責任持って食うべきだろ!?」
父はびしっとこちらを指す。
「どうしてぼくが?」
「そーよ、オーフェン。せっかく
早起きして作ってくれたのにどうしてそんな意地悪言うの
?」
「
クリーオウ!?
」
最愛の彼女に非難され、父が泣きそう
な顔を作る。
そのくらいで泣くな
、と言ってやりたいが、いい気味なのでさらに責める。
「母さんの言う通りだと思うな。二人で決めた規則なのにぼくが朝食作ってばかりだしさ」
「んな!?何言ってやがる!俺が作るってさっきも話しただろうが!」
怒鳴るオーフェンをきっぱりと無視して、ぼくはクリーオウに向きなおる。
「母さんお腹すかない?冷めちゃうし早く食べようよ」
「そうね♥」
「クリーオウ・・・」
背後で父は泣きそうな声で母の名を呼んでいた。
「
ねぇ母さん。今日ぼくシアターで観たい作品があるんだ。付き合ってよ
」
朝食の後、ぼくは母と居間のソファに座り話を切り出した。
ちなみにオーフェンはキッチンで皿洗いをしている。
着用したエプロンはぼくと共用の、無地でシンプルなものだ。
そんな格好をした
父は、いつものごとく話を聞き逃さなかった
ようで、洗剤で泡立ったままのスポンジを手に持ち、つかつかとこちらに歩み寄ってきた。
「聞き捨てならねーな。クリーオウは今日、俺と買い物に行くんだよ。
な、クリーオウ
?」
優しい笑顔を彼女に向ける。
母はこっくりとうなずいた。
「ええ。約束したわよね」
その様子を見て、オーフェンは嬉しそうに破願した。
そうだろうそうだろう、と幸せそうにうなずいている。
しかしぼくは当然のことながら引かなかった。
「えー?でも、そのシアター今週までなんだよ。学校の友達も良かったって言ってたんだ。買い物は今日しなくちゃいけないの?」
「どーだったかしら。うーんと、食料品の買い出しに行こうって話してたのよね。他にはいつもみたいにブラブラしてほしい物を買う、みたいな」
「じゃあシアターでいいじゃない。足りないのがあるんだったらぼくが明日学校の帰りに買ってくるよ」
ぼくは子どもらしく
、拗ねたような口調で言った。
「そうねぇ・・・」
クリーオウが同意しかけると、
オーフェンはぼく以上に駄々をこねる
。
スポンジを握りしめたまま、ぶんぶんと首を振るのだ
。
「それは違うぞ!
買い物なんてただの口実に決まってんじゃねーか!俺は今日クリーオウとデートするって前々から計画立ててたんだ!クリーオウがお前の観たがってるシアターに行きたいってんなら俺が連れてってやるんだよ!
息子の分際で邪魔すんな!
」
「
ひどいよ、そんなの!
先週も父さんそう言って母さんと二人で出かけちゃったじゃないか!
ぼくも混ぜてよ!
」
「デートだってさっきも言っただろ!
デートってのは2人っきりでするもんなんだよ!
それにお前は学校だからいつも帰りが早いじゃねーか!
その間母さんを独り占めしてんのくらい知ってんだぞ!
休みの日くらいゆずれ!
」
「そんな、横暴だよ!あんまり父さんが冷たいとぼくグレるからね!?」
「おう、とっととグレろ!んで家出でもして帰ってくんな!」
「母さん!?母さんも何か言ってやってよ!」
「うーん、困ったわねぇ」
クリーオウは本当に困り顔を作り、首をかしげる。
父とケンカの真っ最中だったが、ぼくはやっぱり母をかわいいなあやっぱり、と思った。
その時。
ぴんぽーん
玄関のチャイムが鳴らされた。
三人で一斉に意識を玄関の方へ向ける。
すぐにオーフェンが――スポンジをにぎりしめ、エプロンをつけたまま――対応しに行った。
少しぼそぼそと声がしたかと思うと、父はにやにやしながら居間に戻ってきた。
「お前に客だ。モテる男はつらいなぁ」
ぼくに向かって言う。
それに疑問符を上げながら玄関へ行くと、そこにはクラスメートの女の子達がいた。
「どうしたの?」
ぼくが尋ねると、三人の中の一人の女の子が少々頬を紅潮させる。
「うん、ごめんね突然来て。さっきのお父さん?
かっこいいわね
」
「
そう?ただのバカだよ
」
思ったことをそのまま告げる
。
そしてそれは真実だった
。
ぼくの父は
世間に出ればそこそこ有能な人物らしい
が、
一度口を開けば『クリーオウ』
。
自分も似たようなものだが、少なくとも彼は家以外でそんな醜態をさらしたことはなかった。
するとさっきとは別の女の子がきょとんとする。
「そうなの?なんだか良くわかんないけど。じゃなくて。あの・・・今日暇?もし良かったらあたしたちと遊ばない?」
唐突な誘いに、ぼくは困って頭を掻いた。
「うーん、ごめんね。今日は家族で出かける約束してたんだ。今週でシアターが終わりみたいだから」
「シアター?」
「そうだよ、いま公開中の。クラスでも話題になったじゃない?」
「ああ、あたしも観たわ。うん、すっごくオススメ!」
「ほんと?まあそういうことだから・・・また今度誘ってくれる?」
「うん!」
少し残念そうにしていた女の子達が、一斉に元気な声を上げる。
その中の1人が、そういえば!と手を叩いた。
ぼくと残りの女の子がどうしたの?という風に首をかしげる。
「あたしさっきのお父さん先週街で見かけたの!なんだかすっごい可愛い人と歩いてたのよ」
「・・・その可愛い人ってブロンドの長い髪の?」
「そうそう」
「それってぼくの母さんだよ、きっと」
というか絶対に。
父が母以外の女性と歩くなんて考えられない
。
クリーオウバカだから。
もし歩いたとしても、
浮気するという発想もなく、ひたすらクリーオウのことを考えているだろう
。
クリーオウバカだから。
「へぇ。2人とも若く見えるのね。恋人同士みたいだった。手も繋いでたし♥」
「
そうなんだぁ
」
愛想笑いを浮かべながら内心はひどく嫉妬する。
(
あのクソ親父・・・
)
しかしそれをおくびに出さず、愛想笑いを彼女らへ向けた。
「うん。とにかく今日は出かけるんだ。そういうわけだから、ごめんね」
「あ、うん。あたしたちこそごめんね、いきなり押しかけちゃったりして。じゃあまた次の休みに♥」
「うん」
ぼくが笑顔でうなずくと、女の子達はきゃーと騒がしく駆けていく。
彼女たちを見送って、彼は早々に玄関の扉を閉めた。
急いで両親のいる部屋へ戻る。
急がなければならない。
彼らから離れた時間が長ければ長いほど、
最愛のクリーオウが危険にさらされる
のだ。
ぼくは大きな足音を立てながら、居間へと足を踏み入れた。
案の定そこには
父が母の隣
――数分前まではぼくがいた場所だ――に腰かけ、おもむろに
彼女の肩へ手をまわして
いる。
オーフェンが心なし彼女の方へと顔を近づけて
いるのは
気のせいだろうか
。
(
クソ親父・・・
)
こぶしをにぎりしめながらも、ぎりぎりのところで母を守れたことに満足する。
逆にオーフェンは親の敵を前にしたような表情でぼくをにらんだ。
「
・・・・・・・・・・・・・・・・(ぎりっと奥歯を噛みしめる音)さっきのお嬢さんたちは?
」
「
え?女の子が来たの?もしかして誘いに来たとか?
」
クリーオウがぽんと両手を合わせ、嬉しそうに声を上げる。
ぼくはにっこりと心から笑むことで母に返事し、そして冷え切った笑みを父に向けた。
「
帰ったよ
」
「
へえ?そいつは残念だなぁ。家に上がってもらえば良かったのに。どうせ今日は家で1人寂しく過ごすんだろ?
」
父も皮肉たっぷり笑い返してくる。
「
家に上がってもらったところで、ぼくはこれから留守にするんだからどうしようもないでしょ
」
父と息子の間で火花が散った――ように空気がぴりぴりとしていた。
もちろん母はそんなことに気付いておらず、残念そうに口をとがらせている。
そんなクリーオウをちらりと見やって、再度オーフェンへ視線を向ける。
「
留守?どっか行くのか、友達と?
」
「
うん行くよ。友達じゃなくて
母さんと
だけどね
」
同時に2人で嘲笑を上げる。
ひとしきり静に笑って、ばっと母を見た。
「
今日はぼくとシアターに行くんだよね、母さん!?
」
「
いや、俺と行くんだよなクリーオウ。どこに行きたい?どこでも連れてってやるぞ!?
」
父が息子に向かっては決して言わないようなせりふを吐く
。
ぼくは自分だけの技で勝負に出る。
「どこでもじゃだめだよ!今週の
母さんのラッキープレイスはシアターだって占いに書いてあった
よ!?」
びしっとソファの上の女性誌を指した。クリーオウは一瞬だけ雑誌を見やり、かわいらしく首を傾ける。
「
3人で行けばいいじゃない
」
母がもっともなことを言う。
たしかにすばらしい結論だ。
しかしここまできたら後には引けない。
「ぼくは2人きりで行きたいんだ!」
「そーだ!デートなんだから!」
その点については父と息子の意見が合致する。
ぼくらは同時に二度うなずいた。
クリーオウはその男たちを半眼で交互に見つめ、小さく嘆息する。
そんな母の一面も、ぼくはとてもかわいく思えてしまう。
「
だったらあなたたち2人で行ってこれば?わたしは留守番してるから
」
予想だにしない言葉を、クリーオウはさらりと吐いた。
ぼくはぽかんと口を開ける。
しばらく動きを停止し、彼女に詰め寄った。
「なんでだよ!?」
「どうしてさ!?」
「だって3人で行くのは嫌なんでしょ?2人ともすごく出かけたがってるんだし、2人で行くのがいちばん平和なんじゃない?」
あまりの厳しさに打ちひしがれ、ぼくは父を見た。
オーフェンも同じようにぼくを見ている。
もう、答えは決まっていた。
ぼくも父も、母と一緒にいたいのだ。
『3人で仲良く出かけましょう・・・』
ぼくらは、仲良し家族だった。
(2004.6.17)
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