「結婚指輪かぁ……」 とある休日ののどかな午後、ラッツベインは新聞の折り込みチラシを見て、うっとりと独りごちた。 最近流行の、チャペルウェディング。 宝石会社と提携でもしているのか、その広告の裏面半分が、新郎新婦の指輪交換の場面、そのさらに半分はやたらでかい宝石の付いた指輪の写真だった。 バラを模しているのか、過剰に装飾されたいかにも高価そうな逸品。 大半の乙女たちが憧れそうな指輪だった。 いつか自分も、こんな指輪をもらってプロポーズされてみたい――そんなことを思う。 そして両親のようにいつまでも仲の良い(というか、もう少しくらい控え目のが良いかもしれない)夫婦でいたい。 そんな空想に浸りながら、ラッツベインは夢見心地の延長で母クリーオウを見た。 そういえば、クリーオウの指輪はどんなデザインだっただろうか。 今まであまり気にしていなかったけれど、さぞかし美しいに違いない。 なぜならクリーオウは生まれ故郷では有数の商家の娘だったのだ。 当然、指輪に限らずモノを見る目は確かだろう。 そして父は、今さら確認するまでもなく母を溺愛している。 そんな父が、母に対して愛情という名前の金を惜しむはずがなかった。 時代遅れとはいえ、一見の価値あり。 母は今、ディープ・ドラゴンと戯れている最中だった。 娘の中ではディープ・ドラゴンと最も仲の良い三女が外出しているため、気兼ねなくじゃれているのである。 その母を見て数秒、ラッツベインは徐々に硬直していった。 (…………あれ?) クリーオウの左手の薬指に、指輪がない。 左手は間違いだったかもしれないと、右手も一応見てみたが、そこにも光るリングはなかった。 見逃しただけかと数分以上も観察するが、どうしても見つけられない。 (あ、もしかして馬鹿には見えない指輪とか、そーゆうのかも♪) と苦しくおどけてみるが、そんなわけがなかった。 確実に、絶対にはまっていないのである。 結婚後、太ってしまい指輪が入らなくなったという話はよく耳にする。 しかしその線でも、ラッツベインの母親は該当しそうになかった。 この夫婦に限って、既婚の証しだと一目で分かるアイテムを身に付けていないとは。 現在の母はそれなりの年齢なのでともかくも、昔なら男が放っていないだろう。 当時は大陸でもっとも有名なカップルだったとしても、全員が知っているわけでもあるまい。 いちばん解せないのは、父が指輪を使ってクリーオウのことを自分の妻だと主張していないことだった。 クリーオウが嫌がるならまだしも、そう言う風には見えない。 「母さ――」 「お、楽しそうだな」 意を決して、ラッツベインが訊ねようとした瞬間、お約束とも言うべきか最悪のタイミングで邪魔が入った。 なぜ今なのだろう。 シャワーを浴びてきたらしいオーフェンが、にこにことクリーオウに話しかけていた。 「あ、オーフェン。お疲れ様。エッジはまだ外?」 「そ。いつもの自主練。やっぱまだ若いよな」 そう言ってからりと笑いながら、父はそのまま床に座る。 当然、母の隣である。 ラッツベインのことはいつも通りスルーされた。 普段なら思うこともあるが、今日に限ってはそれどころではない。 彼女はさらに緊張して、今度はオーフェンの左手を注視した。 (…………………………ない…………!) やはり両親とも指輪をしていない。 これはもう間違いなかった。 別にしていないのが悪いのではない。 指輪をしない夫婦も多いはずだった。 それでもこの夫婦に限ってと思うのは、普段とのギャップによるものだろう。 実害はないものの、軽くショックである。 ラッツベインはごくりと唾を飲み込んだ。 乾いた唇を舌で湿らせてから、口を開く。 「父さんと母さんさ」 呼びかけると、二人と一匹は同時にラッツベインに振り向いてきた。 「なんで二人とも指輪してないの?……結婚指輪」 心底疑問に思ったためか、意外にもするりと訊くことができた。 二人はほんの少し首をかしげ、すぐにうなずく。 「ああ、おそろいのは持ってないのよ」 はじめに答えてきたのはクリーオウだった。 かと思いきや、クリーオウの答えを、オーフェンがすぐさま付け足した。 「結婚した時は日用品でさえ不足気味だったからなあ。指輪どころじゃなかった。でもちゃんと、それから何年後かはダイヤのリングをやったんだ。えーと、この……て……あれ、そういやはめてない……?なんで……?」 自信満々に解説していたオーフェンだが、母の薬指に指輪がないことに気づき、急に不安そうになる。 クリーオウのそばにいるだけで幸せそうな彼だから、気にしていなかったのだろう。 気付いたとたん、父はおろおろし出した。 (今さらうろたえるなら、はじめから危機感持ってよ) ラッツベインも、今日初めて気付いたのは同じだが。 これは遺伝だろう。 心配そうなオーフェンに、クリーオウはにこっと笑った。 「出かける時なんかはしてるわよ。でも普段は家事をしてるから邪魔になっちゃうのよ。汚したり傷つけたりするのも嫌だし」 「あ、そっか……」 母の説明に、父はほっとしたように胸をなでおろした。 納得できたのか、もうすでにご機嫌である。 「んじゃ今から二人で買いに行くか?結婚指輪」 「……今さら?それにオーフェンの場合は邪魔になるんじゃないの?」 「戦闘の話か?俺は魔術が主だし、特に問題ないだろ。違和感あるようならチェーン付けて首飾りにでもするさ」 「そう?だったら……少しお店のぞいてみたいかも♪」 「よしきた」 ぽんとひざを叩き、オーフェンが嬉しそうに立ち上がる。 「ラッツベインも一緒に来る?」 父に手を借りて立ち上がりながら、クリーオウはラッツベインを見た。 「ううん。いい……」 彼女は苦笑いを浮かべ、首を横に振る。 二人のデートについていきたいとは思わない。 答えると、クリーオウはくったくなくうなずいた。 彼女の両親は、本日もまた無駄に仲が良いようだった。 2010.8.11 指輪……してるのか?と思って書きました。 あの平和な家族ならしててもおかしくはない。 アクセサリーが嫌いな人でもないですしね。 |
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