□ 周知の事実 □


パリンと、窓ガラスの割れる音。
そしてすぐ後に起こる、発火。
クリーオウはそれまでののんびりとした気持ちを一瞬にして警戒へと切り替えた。
素早く、やや離れた貴賓席にいるはずの夫――オーフェンを見やる。
彼もまた、真っ先に心配する相手は家族なのだろう。
こちらを見てほしいと願う必要もないほど、オーフェンとはあっさり視線が交わった。
心配そうな彼の表情。
クリーオウはそれに、ほんの少しだけ笑ってうなずいた。
一番大切に想っているのは家族でも、彼には他に守らなくてはならない対象がいる。
命にかかわる事態ならまだしも、このくらいの事件ではオーフェンがこちらに来ることはできない。
だから彼はあんな風な表情になる。
クリーオウは彼に大丈夫だとテレパシーを送り、すぐさま傍に座っているはずの子供たちを見た。
何よりも大切な、オーフェンとクリーオウの娘たち。
自分の命に代えても、守り抜くと決めてある。
彼女らに視線をやると、それぞれが冷静に周囲を見回し、状況判断に努めていた。
手を引いて歩かねばならないほど幼くもないが、まだほんの子供である。
だというのに、彼女たちは自分が想像していたよりもはるかに冷静だった。
「ラッツベイン、エッジ、ラチェット。大丈夫?早くここから逃げるわよ」
長女から順に名前を呼び、子供たちを自分の近くに引き寄せる。
彼女らはこちらを見てうなずくと、クリーオウが何も言わないうちから出口へ向かって歩き出した。
あわてず、慎重に、冷静に。
その行動に、クリーオウは事態のことも忘れるくらい呆気にとられた。
慣れているといえば慣れている。
こういうことが日常茶飯事なのかと想像すると、親としては非常に心配だった。
それでも何とか子供の盾になろうとかばっていると、先頭を歩いているラッツベインがくるりと振り返った。
「母さん、大丈夫?」
「……え?」
彼女の言葉に、わけが分からず聞き返す。
すると、今度はエッジが周囲を見やって言ってきた。
「きっと、すんなり出れると思うから、そこまで気を張らなくても大丈夫よ」
「うんうん。いざとなったら魔術で吹き飛ばしちゃえばいいんだし、平気平気」
「…………」
それぞれの言い分に、クリーオウは苦笑する。
自分は今、娘に心配されているらしい。
こういう襲撃には慣れていないが、若いころは危険な目に何度もあった。
経験では絶対に劣らないのに、娘たちには非力な存在だという認識なのだろうか。
頼もしくはあるけれど、母親としては何となく切ない気もする。
けれども娘たちは魔術士で、自分には逆立ちしても覆すことのできない強大な力を持っている。
それを勘定すると、足手まといだと思われても仕方がないだろう。
警戒しつつもそんなことを考えていると、ようやく明るい外に出られた。
閉じ込められる心配がない分、ほんの少しだけ緊張がほぐれる。
まわりを見回すと、同じくほっとしている様子の人々がいた。
が、それらの中にオーフェンはいない。
おそらく、貴賓をさらに安全な場所へ移動させているのだろう。
自分たちもあまりのんびりしてはいられない。
「もっと街の中心へ出るわよ。ここはまだ危険だから――」
言いかけた矢先、ひとりの男と目が合った。
服装といい顔つきといい、いかにもな雰囲気を醸し出している。
クリーオウたちのことを知っているかは定かではないが、目をつけられたのは確実だった。
内心焦りつつ、やんわりとラチェットの背中を押す。
「あなたたち、先に行っててくれる?お母さんは中にまだ人がいるかどうか確かめてくるから……」
「大丈夫よ。もうみんな出たから」
「さっきの男?たしかにちょっとヤバめな気はしたけどねー」
「…………」
クリーオウの行動が見透かされており、小さくうめく。
さすがというべきか、この娘たちはあなどれない。
苦い顔をして、クリーオウは正直に話した。
「分かってるんなら、先に逃げて。ここは母さんが囮になるから」
言うと、ラッツベインたちは目を真ん丸にして彼女を見る。
次に、三人ともが同じような不満げ――というか、何言ってんのこの人?というような表情を作った。
「……なに?っていうか、やっぱり姉妹ね、あなたたち。みんな同じ顔してる」
「ママ、のんきね……」
呆れて言ってきたのはラチェットである。
クリーオウは苦笑した。
思ったことは本当だが、和んだようで良かったと思う。
そのため彼女は、明るい顔で笑ってみせた。
「早く行って。すぐ追いつくから」
「いや、それはないよ。そんなことよりみんなで逃げたほうが安全だし」
「そんなわけにはいかないわ。わたしは母親なんだから、なんとしてもあなたたちを守らなくちゃ」
強い使命感を持って説得するが、ラッツベインとエッジがめんどうそうな顔で腕を引っ張ってくる。
一瞬抵抗したが、それに意味がないことに気付いて大人しく歩いた。
ここでごねたら、それこそ本末転倒である。
しかしクリーオウも負けじと言い募った。
「本当に危なくなったら、ちゃんと三人で逃げるのよ」
「それはできないよう」
「わたしのことを思ってくれるのは嬉しいけど、これは譲れないわ」
「んー、それもあるけど、もし母さんに万一のことがあれば、この大陸が滅んじゃうし……」
「………………はあ?」
意味が分からず、クリーオウは緊急事態も忘れ、素っ頓狂な声を出した。
が、聞き返す間もなく、二人の娘に強く腕を引かれる。
「あ、また見られた。母さん、ダッシュ!」
ラッツベインが言うと同時、まぶしい光があたりを包んだ。


「んー、まあここまで来たら大丈夫でしょ」
ラッツベインがあたりを見回して言ったのは、街の中心へ来たころだった。
あれから十五分程度、走ったり歩いたりを繰り返している。
娘たちは巧妙に目くらまし中心の魔術を使い、追手をうまく捲いたようだった。
この逃げっぷりは、おそらくクリーオウよりも上である。
感心するものの、やはり複雑な気分だった。
「ママ、のど乾いちゃったし、カフェに入ろうよ」
「あ、うん、そうね……」
娘にねだられるまま、近くのカフェに入る。
彼女らが選んだのは、見通しが良く、いつでも逃げ出せるような喫茶店だった。
注文した飲み物が届くころ、クリーオウがおずおずと娘たちに尋ねる。
「ねえ、さっきラッツベインが言ってた、わたしに何かあったら大陸が滅ぶって、どういう意味?」
訊くと、娘は三者三様の表情を浮かべる。
が、それらはすべて笑いが含まれていた。
呆れた笑い、苦笑い、嬉しそうな笑い、である。
「……だから何なの?」
じれったく問うと、きゃっきゃしながらラチェットが答えてきた。
「だから、パパはママが大好きだから。ママにもしものことでもあればパパはきっと泣きながらまわりのものを破壊しちゃうだろうなーってみんな思ってるんだよ」
「……………………そんなことしないわよ」
夫の顔を思い出して、クリーオウは長い沈黙の後にうめいた。
自分が死ねばオーフェンは悲しむだろうが、だからといってまわりに被害が出るほど悲しむわけではないだろう、たぶん。
そこまで我を失う人間など見たことない。
が、エッジもまた否定するどころか、ラチェットの意見に同意を示した。
「……わたしも、暴れると思うな。力尽きようが止まらないよ、きっと。わたしたちが総出でかかっても、難しいよ」
「…………」
それを聞いてぞっとする。
オーフェンに愛されている自覚はあるものの、そこまで凄まじい偏見を彼は娘たちに持たれているのか。
(普通じゃないわよ、オーフェン)
胸中で、たぶん無事であるオーフェンに語りかける。
想像の中のオーフェンは、昔ラチェットに無理矢理泥団子を食べさせられたような顔をした。
苦り切った表情だが、それでもどうにか笑おうとしている、彼。
ここは夫の味方をしなければならないと、クリーオウはにこりと――心からではないが――笑みを浮かべた。
「けど、それは誰が傷つこうが同じよ。父さんはみんな大好きだから、あなたたちに何かあったらほんっとにものすっごく怒って泣くと思うわよ」
それはクリーオウも同じである。
だから、オーフェンの気持ちは簡単に理解できる。
にもかかわらず、今度は三人ともに鼻で笑われてしまった。
「……何なのよ」
良い母親でいることも忘れ、思わず口をとがらせる。
またもや、答えてきたのは長女だった。
「そりゃ怒るだろうけどぉ……」
「怒って泣くでしょ?同じじゃない」
「うん。怒って泣くけど、規模っていうの?それが全然違うよ」
「そうそう。わたしたちの場合でも村一個くらいは潰してくれるんじゃないかな、父さん。けど母さんの場合はそんなんじゃ済まないでしょ」
「……ふたつくらい?」
「最低でも街?最大では大陸全部じゃない?」
「あ、ありえる〜♪」
ラッツベインの分析に、ラチェットが明るく笑いながら気軽に同意する。
実に楽しそうだが、クリーオウは笑わなかった。
否、笑えない。
(ちょっと、オーフェン……)
ものすごくこちらを心配しているはずの夫にツッコミを入れる。
「いくら何でも、そこまで酷いことしないわよ……」
「そうじゃなくてぇ。本人は自覚がなくなるでしょ。娘が死んだら、めちゃめちゃ悲しみながら復讐するだろうけど、母さんの時はきっと無意識なんだって。我を失って魔術の制御もできなくなって、赤ちゃんが駄々こねるかんじで気付いた時はすでに焼け野原でしたーみたいな」
「あ、そんな感じ〜♪」
「…………」
あまりにもスケールの大きい想像に、さすがのクリーオウも絶句した。
いくら自分が愛されているからといっても、そんな馬鹿な話もないだろう。
だがラッツベインの話に、ラチェットは完全同意の相づちを打っていた。
どうやら長女と三女は同意見らしい。
となると、頼りになるのはいつも大人ぶっている次女。
あなたは違うわよね、とクリーオウがエッジに微笑みかける。
しかしあろうかとか、エッジもまた小さく引きつった笑いを浮かべてから、こくこくとうなずいた。
(エッジまで……!)
三人娘の中でも、エッジは群を抜いてのお父さん子である。
父親であるオーフェンは、エッジの中であらゆることで美化されており、彼女の完全な理想であるはずなのに。
その彼女にさえ肯定されてしまった。
(わたしが殺されたら街が滅ぶの……?)
たぶんないだろう。
けれど簡単に想像できるのなら、可能性がないとは言い切れないのではないか。
(今日から、オーフェンのこと教育し直さなきゃ)
少なくともまわりに迷惑をかけないほどには理性を保てるよう訓練させよう。
普通ならしなくても良いような課題に、クリーオウは深く深くため息を吐いた。






2010.7.23
オーフェンて私の中ではそんなイメージ。
末永くお幸せに。

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