□ プリンの話 □


夕食を終えてからは、ゆっくりと風呂に入り、仕事でたまった一日の疲れを落とす。
そして寝室へ行くまでの短い時間、家族でゆっくりと語らうのだ。
このひと時が、オーフェンは一日の中でいちばん好きだった。
あとはもう寝るだけ。
幸せなことしか残っていない。
限界までリラックスした気持ちで、彼はお気に入りのソファから家族の様子を見つめていた。
いつもと変わらない平和な光景。プライスレス
これは決して金で買える類の幸せではない。
それを手に入れたことの喜びを、オーフェンはつくづく感謝していた。
足りないものなどない。
すべて完璧にそろっている。
と、悦に浸っていたのも束の間、唐突にのどの渇きを覚えた。
今日は少し暑かったし、風呂でもたっぷりと汗をかいた。
健康のためにも、自分は必要なだけの水分を補給しなければならない。
これは今しなければならなことの中では最重要任務である。
そう判断して、オーフェンはタオルを肩にかけたまま、のそりと立ち上がった。
体の欲求を満たすため、居間のすぐ隣のキッチンへ行き、おもむろに冷蔵庫を開ける。
少しひんやりとした冷気が、火照った体に心地良かった。
小さな灯りを頼りに、何かのどが潤いそうなものを物色する。
今あるのは牛乳にオレンジジュース、あとは水。
どれも良く冷えていて、うまそうではあった。
(健康のために牛乳……いや、ビタミンの方がいいか……?)
腕を組みつつ、どちらにしようかと真剣に悩む。
と、開け放した冷蔵庫の隅に、ごく小さなプラスチックの容器を見つけた。
高さにして10センチ、横幅は8センチほどか。
容器は透明なので、中身が何なのか一目で分かる。
大半はごく淡い黄色、底の部分だけ輝くような茶色。
(これは……プリン!)
たしか、昨日の夕食の後、同じものをオーフェンは食べた。
有名な店のプリンらしく聞いた値段は高かったが、相応に味も良かったと記憶している。
オーフェンはその店の名前を知らなかったが、流行に敏感な妻がきっちりと購入していた。
数量限定で並んでも買えないことさえあるらしい。
さておき、最近の流行なのかそのプリンはかなり柔らかい食感で、舌触りもなめらかだった。
そして上品な甘み。
カラメルはほんのりと苦く、絶妙なバランスで配合されていた。
何とも言えない幸福感。
要するに美味だった。
昨日得たばかりのプリンの味を脳内で再生し、ごくりと唾を飲む。
こういったものは賞味期限がおそろしく短いが、まだ食べられるはずだった。
何せ、彼の奥さんは家事のプロフェッショナルである。
食べられないものは、冷蔵庫にいつまでも残っていない。
が、このまま放置すれば確実に食べられなくなるはずだった。
それはあまりにもったいない。
オーフェンはプリンとスプーンを手に取って、少しだけ期待して居間に戻った。
「このプリン、誰のだ?」
だらしなく、あるいは隙のない格好で思い思いにくつろいでいる娘たちに、プリンをかかげて問いかける。
彼女らは一斉にこちらを向いたが、それぞれが首をかしげた。
「わたしのじゃない」
「知らなーい」
とか何とか返事する。
全員の返答を耳にしたが、自分のものだと主張した者はいなかった。
つまりは、誰のものでもないということだろうか。
それならばオーフェンが食べても良いはずである。
彼は笑みを浮かべながらダイニングテーブルに座り、やや緊張気味にプリンのふたを開けた。
綺麗なスプーンで艶やかなプリンをたっぷりとすくいあげ、ゆっくりと慎重に口に運ぶ。
(ウマっ!)
口に広がるその味に、オーフェンは思わず歓声をあげた。
昨日も美味いと感じたが、風呂上りののどが渇いたこの場合は、感動もひとしおである。
娘たちの視線を尻目に、オーフェンは嬉々としてプリンを口に運んだ。
値段が高いだけのことはある。
いたるところにプリン職人たちのこだわりが感じられた。
今まであまり興味がなかったが、これだけ美味であれば、時々土産として持ち帰るのも悪くない。
そうすれば自分も嬉しいし家族も喜ぶし、まさに一石二鳥だった。
オーフェンの小遣いで買うのなら、誰も反対などしないだろう。
次々とプリンを口に運びながら、彼は家族が幸せになる方法を考えていた。
おおかた食べ終わると、芸術的な様子で底からカラメルが染み出してくる。
ラストスパート、ここからまた味の変化が始まった。
単調だった味にほんのり苦味が加わり、消費者たちの飽きをふせぐ。
偉人の発想に感激しながらも、オーフェンは最後のひと口をすくった。
「あ――――!」
至福の終了間際に響いた、すさまじい絶叫。
あまりの声量に、オーフェンはびくりと肩をすくめた。
声のした方、そこには風呂から出たばかりの彼の奥さん――クリーオウ――が、目を真ん丸にしている。
オーフェンと目が合うと、彼女は家の中だというのに全力で走ってきた。
「わたしのプリン!お風呂から出たら食べようと思ってたのに!」
「え……」
「どうして確かめもせずに食べちゃうの!?楽しみにしてたのに、もう!」
「えーと……」
思い切り怒鳴られ、助けを求めて娘たちを見る。
しかし彼女らは、一度はオーフェンと目を合わせたにも関わらず、ぷいと顔をそむけた。
子供は三人もいるのに、三人とも。
「どーしてくれるのよ!もうお店閉まっちゃってるし、買いにもいけないじゃない、オーフェンのバカ!」
半分涙目になって、クリーオウがわめいた。
よほど楽しみだったらしい。
頭を振って怒るので、濡れた髪から雫が散った。
冷たかったが、文句も言えない。
心底困り果てながら、オーフェンはクリーオウにとりあえず謝罪した。
「あー、悪かったよ。ごめんな」
「謝って済む問題じゃないでしょ!?プリン!」
「明日また買ってきてやるから……」
「もう売ってないの!キエサルヒマからの出張販売だったんだもの……次はいつ来るか分かんないのよ!」
「あー……」
どう答えを返そうか迷いつつ、オーフェンは最後のひと口を彼女の口もとへ持っていった。
自分の食べ残しは失礼だからといって全部オーフェンが食べようものなら、彼女は烈火の如く怒るだろう。
そしてやはり自分が独り占めするのでは、彼女があまりにもかわいそうだった。
一瞬躊躇はしたものの、不満そうにしながらクリーオウは口を開く。
食べると、やはりうまかったらしい。
一瞬幸せそうに頬をゆるめてから、彼女は複雑そうな顔になった。
もっと食べたくてもプリンはもう残っていない。
「……うまいか?」
「おいしかったわよ!どうしてくれるの!?」
「明日、違うの買ってくるよ。プリンでいいのか?」
「いいけど……おいしいの買ってきてよ!?」
「はいはい」
「わたしのは二つだからね!?」
「はいはい。仰せの通りに」
しっかりとうなずく。
話の内容が変わっても彼を責めてこないのは、興味がそちらに移ったからだろう。
長年夫婦をやっていれば、話を逸らすことなど造作もない。
オーフェンは妻の話に笑顔で相づちを打ってやった。
これは彼女の機嫌を直すのに、最も効果的な方法なのである。
そうすることでクリーオウはすぐに許してくれたようだったが、説教だけはしばらく続いた。






2010.4.2
たまには母さんを黙らせろ!
無駄な話をせっせと書いてしまいました。
オーフェンは勝ったつもりでも、そう思ってるのは本人ばかりという(笑)

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