クリーオウが滑り込みでスクルド号に乗船してから早三日。 それほど長い間オーフェンと話ができたわけではなかったが、やはり彼は一年前と少し変わったように思えた。 決定的にどこかが変わったわけではなく、些細なことが重なって重なって、結果、何かが違うように感じる。 そしてそれは、自分も同じことなのだろう。 どこが変わったのかは断言できないにしろ、一年前の自分とは確実に何かが違う。 そんな距離感を感じながら、クリーオウはぽつりと彼に話しかけた。 「……オーフェン、怒ってる?」 二人きりの会議室。 ディープ・ドラゴンは狭い入口を通れないため、部屋のすぐ外の廊下で待ってもらっている。 といっても、扉は開いているので、ディープ・ドラゴンとはいつでも目を合わせることができた。 逆に、オーフェンには背中を向けているので、彼の黒い瞳が見えることはない。 視線を床に落としながら、パイプ椅子の上に体育座りをしているクリーオウは、身動ぎせずに彼の言葉を待った。 「……何がだ?」 少しの沈黙をはさんで、オーフェンの憮然とした声が返ってくる。 憮然としていて、そっけない。 一年前には感じなかった一線が、そこにはあるような気がした。 クリーオウ自身、オーフェンには漠然と話しかけたので、具体的に何に対してというものはなかった。 だがすぐにいくつか思いつく。 口を結んだままつま先をにらんでいると、オーフェンが先に言ってきた。 「お前が今朝、レキと一緒に俺の部屋の扉をブチ破ってきたことか?」 不機嫌そうな声音で。 しかしクリーオウは、体を丸めたまま首を振った。 「違うわ」 「……じゃあ、朝食の時に水の入ったグラスを俺に投げつけてきたことか?」 「それも違うわ」 再度否定してから、クリーオウは首をぐるりと回した。 「てゆーか、オーフェンが悪いのにどうしてわたしが怒られなきゃいけないのよ?」 仕事をしている彼の横顔に、そんな文句を投げつける。 オーフェンはこちらを見ることはしなかったが、その頬はひくりと引きつった。 が、かまわずにクリーオウは首を戻し、ひざの上にあごをのせる。 「それじゃないわよ」 自分が、彼が何かに怒っていると感じたのは、今日のことではない。 そんな単純なことではなく、もっと真剣なことだった。 「そうじゃなくて……」 言葉にすることに迷う。 聞きたいような、聞きたくないような。 いや、本音は聞きたくない。 だが気付かないふりをしたままなかったことにしてしまうのは気持ちが悪い。 というより、罪悪感があった。 「……そうじゃなくて」 「だったら何だ?」 呆れたように嘆息して、オーフェンが促してくる。 ペンを置く音がしたので、彼はこちらを向いたのだろう。 気配だけでそれを感じながら、クリーオウは顔を歪めた。 口の中に苦いものを感じながら、小さくうめく。 「ふたつ、あるんだけど……」 「……ああ」 こちらが言いにくそうにしているからか、オーフェンは聞く体勢に入ったようである。 背中を向けているので確実ではないが、会議の資料を読みながらではないようだった。 「ひとつめは、ほら、こうやって強引に船に乗り込んだこと」 ズボンに唇をあてた状態のくぐもった声で、ぽつりと呟く。 乗船した時はなんだかばたばたしていて、うやむやのうちに今日に至っていた。 だから、こうして正面切って話せば、オーフェンは怒るかもしれない、。 怒られたからといって、どうにかできるわけではなかったが、念のため彼女は確かめておきたかった。 怖々とした気分で、ちらりと肩越しにオーフェンを見る。 と、彼は目を閉じて言ってきた。 「怒ってない。以上。はい、次」 さっと手を振って、先に進めようとする。 それにクリーオウは、オーフェンの顔を凝視したままみけんにしわを寄せた。 「ホントに怒ってないの?」 疑わしく思って、訊く。 オーフェンはじろりとこちらをにらんだ後、半眼になって答えてきた。 「怒ってほしいってんなら、いくらでも説教してやるぞ」 「いい」 即答して、クリーオウは逃げるように再びひざに顔を埋める。 ともあれ、怒ってないと聞いて内心ほっとしていた。 たぶん、嘘ではないだろう。 「で?もうひとつは?」 「あ、うん。もうひとつはね……」 言いかけて、またもや言葉が詰まった。 と、そこへタイミング悪く――良いのかもしれないが――ノックの音が響く。 扉は開いている。 それでもわざわざノックをしてきたのは、こちらの微妙に重苦しい空気を読んでのことだろう。 ノックの後に数拍置いてから姿を見せたのは、顔は知っているが、ただそれだけの男だった。 つまり、話をしたことは一度もない関係。 会議が始まる時間なのだろう――クリーオウは軽く会釈して、立ちあがった。 「……聞いていかないのか?」 疑問というよりは、確認のためのオーフェンからの問いかけ。 「うん」 ひとつうなずいて、入口に向かう。 扉の外にいる男とすれ違い様にもう一度会釈して、クリーオウはレキの黒い毛並みに触れた。 こうした会議には、乗船した初日に、オーフェンにくっついて一度だけ参加した経験がある。 その際に、別の参加者から思いきり奇異の目で見られ、彼女はそれ以来会議には出席していない。 技術者ならともかく、自分は無知な一般人のため、強気でいられるはずもなかった。 あの部屋へは、会議がない間だけオーフェンに会いに時々通っている。 「――あ」 とりとめもなく考えながら、数歩進んでようやく気付く。 話がまだ途中だった。 (ま、いいか) どうせ急ぎではないのだし、オーフェンも特に怒っているわけではないらしい。 それならば話しそびれた内容は、ただ自分の心の持ち方だけである。 だから、問題ない。 クリーオウは船の廊下から、少しは明るい客室の方へ歩いた。 大きな船に乗っているのは、関係者を除けば、新大陸で生活することを目的としたキムラック人がほとんである。 彼らは余所者――この場合はキムラック教徒以外の人間――に厳しい、基本的に。 このような空気は、タフレムにいた頃に難民キャンプで味わったことがあった。 明らかにキムラック人とは異なった容貌をしているクリーオウは、食事をしていてもあからさまに距離をあけられていた。 テーブルのひしめき合っている食堂に、巨大なディープ・ドラゴンを伴っているので、警戒心は余計に濃くなるのかもしれない。 中にはまったく気にせずに、普通に接してくれる人もいるが。 気にしても仕方のないことだと学んでいたので、クリーオウは普段通りにテーブルについて食事をしていた。 ――半分ほど料理を片付けたころ。 後ろのテーブルに誰かが食器の乗ったトレイを置く。 次いで、彼女の背後のいすを引く音がした。 「で、次は?」 よく知っている声で、遠慮のかけらもなく話しかけてくる男。 振り向くまでもなく、オーフェンだということはすぐに分かった。 「次……って?」 あくまでも会話の続きをしようとしている彼だが、何のことだか分からなくてクリーオウが首をかしげる。 オーフェンは背中をこちらに向けたまま、肩を大きくコケさせた。 首だけまわして、半眼でこちらを軽くにらんでくる。 「だから……さっきの続きだよ。お前が、俺が怒ってるように見える原因。もう一個あるんだろ?」 「ああ」 言われて思い出す。 (って、ずっとそのこと考えてたのかしら?) 相変わらずにこりともしないオーフェンの顔を見ながら、クリーオウは胸中で呟いた。 もしそうだとしたら、完全に忘れていて申し訳なく思う。 「えっとね」 「ああ」 「怒ってない?」 「だから、なにを?」 じれったそうにしているが、彼はそう答えてきた。 「あのね」 ようやく腹を決め、告げる。 「わたしさ、聖域……というか、領主様の館くらいから、オーフェンに対してちょっと酷い態度取ってたかなって。今考えると。オーフェンはわたしのこと気にかけてくれてたのに、わたしは自分のことしか考えてなかったよねって」 なかなかに苦い思い出だった。 話していながらも、ぐにゃりと顔が歪む。 「そんなことか」 オーフェンからの返事を待っていると、すぐに大きなため息が聞こえてきた。 「怒ってない。以上」 さらに投げやりな態度で、会議室にいたときと同じように言ってくる。 が、信じられなくてクリーオウはうめいた。 「……そんなこと言って、ホントは怒ってるんでしょ?」 彼女からしてみれば、それは裏切りだったようにも思える。 敵になったわけではなかったが、彼の味方でもなかった。 銃まで向けてしまっている。 うつむいていると、頭をやや強めに殴られた。 口をとがらせて顔をあげると、オーフェンが思いきり不機嫌そうにこちらを見ている。 何だか、心まで見透かされたような気がした。 「お前はお前のやりたいようにして、俺は俺のやりたいようにしただけだ。意見が合わないことだってあるんじゃねえのか?とにかく、俺はそれを根に持ったことなんてない。気にしすぎだ」 言って、オーフェンがもう一度彼女を小突く。 痛いはずなのに、それはなぜか気持ちを軽くする。 信頼されての行為だと、お互い分かっているからかもしれない。 クリーオウはそう思って、小さく笑みを浮かべた。 「にしても……」 「ん?」 うめいて、オーフェンは背もたれに両肘を乗せ、脱力したようにだらしない体勢になる。 「そんな怒ってるように見えたか?」 困ったような表情で、彼はクリーオウを見てきた。 小さく首をかしげるが、素直に首を縦に振る。 「ええ。なんだか、いつ見てもむすっとしてたの。無視するわけじゃないんだけど、楽しくなさそうっていうか。遠くから見てると、話しかけてもいいのかわかんないくらい」 「なんだそりゃ」 「そう見えたんだもの」 「そうかなぁ。ま、この一年はかなり荒んだ時期があったからな。でも、近頃だいぶマシになってきたと自分では思ってたんだが……」 ぶつぶつと、不満そうに呟いている。 自分の記憶と比べると、目の前にいる彼は和やかになったようには見えないが、本人が申告するからにはそうなのだろう。 かわいそうだったので、オーフェンに合わせて適当に相づちを打ってやる。 「船に乗ってからはゆっくりとくだらない話をする時間も増えたし……」 「ふぅん」 ぼやいている彼の話を聞いていると、クリーオウたちのすぐ横を顔見知りが通りかかった。 こちらを見て、からかうように、にやっと笑う。 「よう魔王。一緒に飯を食ってくれる奴が見つかって良かったじゃねぇか。えらい嬉しそうだもんな、最近」 それだけ言い残して、さっさと去っていく。 二人してぽかんとした後、クリーオウは彼の顔を見た。 「これで嬉しそうだなんて、一体どんな荒んだ生活してたわけ?」 問うと、オーフェンはまたさらに困った顔をした。 2009.8.18 読み返しツアー、フライングで「虚像」を読むと、噛み合わない二人がいました。 ラストまでずっとそんな状態だったので。 再会は自分の中ではもう完了してたのですが、また出てきましたね。 |
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