□ ふと思い出して □


「そうだ、大変!」
クリーオウが唐突にそう言ってくるのは別段めずらしいわけではない。
料理を放って置いた時も言うし、少々寝坊した時にも言う。
オーフェンがめまいを起こしそうなことをやらかした時にも、同じせりふを言う。
小さなことから大きなことまで何だって有り得るので、彼はまず心の準備をした。
次に想像できる事態を頭の中に並べていく。
とりあえず、ここ数日は大きな事件は起こっていない。
キムラック教徒たちとも、衝突もしていない。
レキもそばにいるし、最近彼女はオーフェンと一緒にいることが多いので、どこかで取り返しのつかないことをしでかしている様子もなかった。
そうすると些細なことでクリーオウが叫んだのだろうか。
可能性は高くとも、完全には安心しないまま、オーフェンは促した。
「なにが大変だ?」
できるだけ平静に、クリーオウの刺激にならないよう世間話でもするように。
実際、自分たちは時間が空いたのを見計らって、二人で適当に散歩をしているだけだった。
目的地もない。
「あのね、ティッシに言われたことをすっかり忘れてたの、わたし!」
「ティッシ……」
彼の姉、レティシャ。
その名前を聞く度、そしてふと思い出した時に何だか虚しくなってくる女性のことである。
複雑な感情が湧きあがったが、オーフェンはそれをどうにか押し殺した。
散歩する足を止めないまま、クリーオウに尋ねる。
「ティッシがどうした?」
「うん。わたしティッシの言う条件を守れたらオーフェンを追っかけてもいいって言われてたの。三つあったんだけど、その三つ目をまだ守れてなかったわ」
自分も関わっていたらしい。
やや焦ったが、彼は落ち着いてクリーオウの話を聞くことにした。
「ティッシはなんて?」
「わたし、このことは話してないわよね?」
「……ああ」
無意識なのだろうが、彼女はオーフェンを焦らす。
しかしクリーオウも突然思い出したせいかやや慌てているようだった。
金髪の上にいるレキも、同じように前足をバタバタさせている。
「あのねオーフェン」
「ああ」
「黙って殴られて?」
「はあ……?」
話が突然すぎて、つかめない。
呆れて聞き返すが、クリーオウはすでにぴたりと足を止めていた。
殺気とまではいかないが、真剣な目でこちらを見つめてきている。
とりあえず、色気はない。
「ちょっ、おいっ!?」
説明もなしに、クリーオウは文字通りこちらに殴りかかってきた。
が、本当にただ殴りたいだけのようで、足は使っていない。
しかしオーフェンも理由を聞けないまま殴られる気にもなれず、彼女の攻撃はすべてかわした。
「ちょっと、避けないでよ!」
「無茶言うなって、お前!」
二人で怒鳴り合いながら、けれど体も休めない。
だんだんとクリーオウが苛立ってきていることを表情で読み取り、オーフェンは素早く後方に跳んだ。
彼女との距離を三メートルほど広げて、両手を前に突き出し待てと示す。
「…………」
クリーオウは思いきり不機嫌そうな顔をしながらも、こぶしを固めたまま動きを止めた。
油断はならないが、一応聞く気があるのだと判断してオーフェンはうなずく。
「いきなり襲いかかってくるのはやめろ。まず事情を話してくれ」
再び暴れ出すことを警戒し、オーフェンはその場から声を出す。
「……したでしょ?」
彼女はやはり顔をしかめたまま、不満げな声で言ってきた。
「してない。ティッシが出てきて、いきなり殴らせろって言っただけだ」
「そーだっけ?」
ものすごく不思議そうに、クリーオウは首をかたむける。
同時に攻撃態勢も解除されたようなので、オーフェンは息を吐いて数歩分距離を縮めた。
が、隣に並ぶほど自分は愚かではない。
「だからちゃんと話してくれれば俺は殴られずに解決策を見出せるかもしれないだろ」
「べつに黙って一発殴られてくれれば、それで済むんだけど」
「お前、意味もなく痛い思いをしてもいいなんて人間はいないと思うぞ?」
えー、とクリーオウは不服そうな声を上げる。
思い返せば、オーフェンは姉たちに意味もなく酷い目に合わせられてきた。
まだ修正が可能なうちに、クリーオウだけには正しい世界を理解してもらいたい。
「じゃあ説明したらオーフェンは大人しく殴られてくれるのね?」
「理由にもよるだろ」
ただの腹いせとか八つ当たりであれば、殴られるつもりはない。
殴られて世界が平和になるのであれば――あるわけがないが――もしそうなのであれば喜んで痛みに耐えよう。
「あのね、オーフェンを追いかける三つ目の条件はね、会ったら一発殴ってやってだって」
「……嫌だ」
「それができないならトトカンタに帰りなさいって言われたわ」
「………………………………」
それを聞いて、オーフェンは沈黙し体を硬直させた。
「オーフェンを殴れないと、わたしトトカンタに帰らなくちゃいけないの」
「………………」
おもしろがる気配はなく、むしろ困ったようにクリーオウが告げてくる。
(……俺にどうしろと?)
喜んで殴ってくださいと言えば、彼女の一生はほぼ決まり、かといって彼女がいなくなるのもなんというかそのあまりはっきりとは言えないがとりあえず希望としてはやはり避けたくもないとはいえなくもないような気がする。
(あーでもなんつーか俺にそんな大それたことっていうかでもクリーオウがそう思ってんならっていうか殴らせろってことはやっぱりそう考えてもいいもんかでもこれってマジでなんつーかあーとえーとどうしたらいいもんかねていうかティッシがよけいなこと言いやがってんなことあんたが口出すよなことじゃないだろって――え?)



「お前、ちょっとは手加減しろよ。殴られれば何でも良かったものをなんで全力?」
「んーちょっとはれてるわねー」
こちらの声は聞かず、クリーオウは彼の頬にポケットから取り出したハンカチを当ててくる。
清潔ではあるが、乾いているそれに何の意味があるのかは分らないが、彼女は満足そうだった。
もっとも、満足の理由は他にもあるのだろうが。
と思っているのも実はオーフェンの欲目かもしれない。
そんな言葉遊びをしながら、彼は背伸びをして具合を確かめているクリーオウを見た。
(近いな)
どうとでもできる距離だ。
頭突きをするなり蹴飛ばすなり、殴り返してやるなり――キスをするなり。
オーフェンは彼女の金髪というか頭に、ぽんと手を乗せるようないつもの感覚で唇を触れさせた。
それは一瞬のことで、すぐにもとの体勢に戻る。
「どうした?」
目をぱちくりしているクリーオウに、オーフェンは空とぼけて訊いた。
「今の……」
ぽかんとした声で言って、彼女はオーフェンの唇が当たったところに手を触れさせる。
彼はそれにわからないといったように首をかしげた。
するとクリーオウはもどかしそうに口を結んで、オーフェンの胸のあたりを殴りつけてくる。
「痛い痛い、こら」
オーフェンは苦笑しつつ、彼女のこぶしを避けるために再び歩みを再開した。
(さっきのもカウントされるのかな?)
レティシャの条件は一発殴るということらしいので、これだけ殴られれば充分だろう。
「ちょっとオーフェン!大人しく殴られなさいよ!」
「もーやだ」
追いかけてくるクリーオウを肩越しに見やって、きっぱりと告げる。
けれど条件次第ではまた殴られてやってもいいと、そんなことも考えてみたりした。






(2008.12.4)
書いている間中ずーーーっと(二人の関係は)どこだー!?っと悩んでいたのですが、ラストで決定。
そっか、そこなんだー(にやにや)。
いーなー楽しい時期だなー。
私がふと三つ目の条件を思い出したので、クリーオウにも思い出してもらいました。

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