□ わがまま □


悲しみを共有できることは良いことだが、それ以上に喜びを共有できることの方がすばらしい。
喜びが自分だけで終わることなく、相手にも伝わることを想像すると、自然と頬が緩んだ。
それを隠すことなく、オーフェンが我が家の玄関の扉を開ける。
「ただいま」
中に向かって呼びかける。
すると、今日もキッチンの方から彼を出迎えるための足音が聞こえてきた。
「おかえりなさい」
エプロンを着けたままのクリーオウがやってきて、にこりと微笑みを向けてくる。
彼女に微笑み返し、オーフェンは近づいてきたクリーオウに口づけをした。
ぎゅっと抱きしめてから、彼女を解放する。
「今日はオーフェンすっごく機嫌がいいわね」
からかいを含んだ瞳で、クリーオウが彼を見上げてきた。
たったこれだけのことで何もかもがお見通しらしい。
オーフェンは苦笑して、ぽんと彼女の金髪に手を乗せた。
「後で言うよ」
「ふーん?」
言うと、クリーオウが不思議そうに首をかたむける。
「じゃあ夕食の用意するから、少し待ってて」
「ああ、ありがとう」
軽く礼を言って、オーフェンは再びキッチンへ向かう彼女の小さな背中を見送った。


「それで、何があったの?」
夕食後、デザートはリビングで食べようということになり、テーブルに皿を置きながらクリーオウが訊いてきた。
コーヒーを運ぶのは――はっきりと決めたことはないが――オーフェンの役目である。
今日のデザートはクリーオウの手作りのプリンだったらしく、彼は早速それを口に運んだ。
「お、うまいなこれ」
控えめな甘さが口に広がり、オーフェンは目を丸くする。
「そう?カボチャが安かったから、プリンに混ぜて適当に作ってみたんだけど」
「売れると思うぞ」
「そんなに上手くいくわけないわよ」
コーヒーを飲みながら、クリーオウは小さく苦笑した。
褒められてもっと喜ぶと思ったが、意外に淡泊な反応である。
「オーフェンは何のいいことがあったの?」
自分の話はもういいというように、クリーオウがこちらに視線を向けてきた。
オーフェンはぽんと手を叩いて、スプーンを皿に戻す。
カボチャのプリンのことで思考が飛んでしまったが、彼女に伝えたいことがあったのだ。
彼は大事にしまっていた封筒を、胸のポケットから取り出す。
多少しわがついてしまったが、中身にはまったく問題がない。
「なに?」
「ボーナスだ」
自信満々に言って、オーフェンが胸を張った。
「ボーナス?こんな時期に?」
「ああ、めずらしく景気がいいらしくてな。ラッキーだろ」
「へぇー。すごいのね」
クリーオウが嬉しそうに彼の顔を見る。
オーフェンは自慢げにうなずいてみせたが、それだけだった。
(あれ……?)
手に持った封筒が、所在なさそうに揺れている。
対応に困って、彼はそれをテーブルの上に置いた。
しかし彼女はそれを触ろうともせず、今度はプリンを口に運ぶ。
「それ、けっこう入ってんだぞ?」
額でいうと、一か月分の給料よりも多い。
それだけあれば、旅行でも買い物でも自由にできる。
「何に使う?」
たまにはぜいたくをさせてやろうと、彼はクリーオウの青い瞳をのぞき込んだ。
帰り道にアクセサリーなどを買おうかと迷ったが、どうせなら選ばせてやろうと一切使ってない。
クリーオウが何を欲しがるかと、彼は楽しみにしていた。
「……貯金?」
「はあ!?」
出てきたあまりに夢のない言葉に、オーフェンは全身全霊で驚く。
空耳かと疑いつつ、彼は再度クリーオウに問いかけた。
「何に使いたいか、もっぺん言ってみ?」
ゆっくりと含むように聞いてみる。
クリーオウは怪訝そうに眉を寄せたが、それでももう一度素直に言い直してきた。
「だから……貯金かなって」
「お前……」
あらゆることが頭をめぐって、二の句が告げられずにいる。
深呼吸で気持ちを落ち着かせ、オーフェンはクリーオウの小さな手を取った。
「うちは今、借金もないし生活にも困ってないよな?」
「ええ。ちゃんと貯金もしてるのよ?」
そこは嬉しそうに、彼女は得意気ににこりとする。
オーフェンはそれに真顔でうなずいた。
「ああ感謝してる。だから今日みたいなあぶく銭は、多少無駄遣いしてもいいはずじゃないか?」
「そうね。まあ、必要なものなら」
「…………」
何というべきか。
彼女の成長ぶりが、逆に寂しい。
意識が一瞬遠のいたが、オーフェンは何とか耐えてみせた。
「欲しい物はないのか?」
「特に、今はないわ」
「服は」
「服は前に買ってもらったし」
「アクセサリーは?」
「持ってるもの」
「くつとかかばんとか」
「今ので十分」
「実家に帰ってみるとか」
「行ったばっかりでしょ」
クリーオウは本当に現状で満足しているのか、質問にテンポよく返してきた。
そしてそれが全て優等生の出す答えのようで、だから切なくて寂しい。
重い息を吐き、オーフェンは横にいる彼女の体に腕をまわした。
細い肩に、自分の額を乗せてうめく。
「どしたの?」
分かっていないのか、クリーオウは心配そうにうなだれた彼の体に触れてきた。
しかし本当に心配なのは、こちらの方だ。
「お前、どうしたんだ」
「何が?」
「もっと服とかくつとか、何でも買えばいいだろ」
「……わたし、みすぼらしいかしら……」
やや落ち込んだように、クリーオウ。
だが、オーフェンの言いたいことはそれではなかった。
彼女は黒しか着ないオーフェンとは違い、いつも色取り取りの服を着て奇麗にしている。
むろん無限に服があるわけではなく、適度に着まわしているのだろうが。
今あるものの中で、すべてを無駄なく最大限に活用している。
「そうじゃない。そうじゃなくて……」
「じゃあ、なに?」
拗ねたような彼女にため息を返し、オーフェンは充分に手加減して頭突きした。
額同士をくっつけたまま、オーフェンはごく間近で青い瞳をのぞき込む。
「……いつからそんな、がまんするようになった?」
自分が情けない。
今の今まで気付けなかった自分が、許せないほど情けなかった。
クリーオウはいつも、オーフェンにはもったいないほど良くしてくれている。
家事や家計など、彼女と同年代でこれほどうまくできる娘はまれだろう。
しかしそれは、すべて彼女の気配りや努力や、がまんの上に成り立っている。
きっと旅をしていく中で、知らずに身についてしまったのだろう。
少なくとも、出会った頃のクリーオウは、オーフェンが苦しむほどわがままだった。
「……がまんなんて――」
「してるだろ。毎日早くから起きて朝食作って、家のことも全部して。夕食も手を抜いたことなんて一度もない。文句も言わない。そして現状で満足だ?そんなわけ……そんなわけないだろ」
絞り出すように言ってから、再びクリーオウを抱きしめる。
言葉を切らなければ、たまらずに叫び出してしまいそうだった。
「……オーフェンがいるもの」
「……そんなのは」
それが何だというのか。
続けられずにいると、クリーオウはあやすように彼を優しく抱きしめてきた。
「じゃあね、わたし近くの温泉に行きたい。オーフェンと一緒にお風呂に入って、おいしいもの食べて、夜は手を繋いで知らない場所を散歩しましょ。それでお昼までたっぷり眠って……キスで起こして」
くすっと、クリーオウがいたずらっぽく笑う。
オーフェンもつられて噴き出すと、止まらなくなって彼女と一緒に笑いだした。
「お安い御用だ」
そんなのはわがままのうには入らないが、今は小さな贅沢を望んでくれたことが嬉しい。
テーブルの上に置いた大金の入った封筒は、減ることがないまま旅行の日まで大切に保管された。






(2008.10.31)
彼女ががまんとかするようになったら切ないなーと思って。

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