□ your name □


「レキ」
彼女はカーペットの上でころころと一人遊びをしているディープ・ドラゴンの名前を呼んだ。
レキと呼ばれた黒い子ドラゴンはぴくりと顔を上げ、すぐさまこちらへやって来る。
走るのではなくゆっくりと歩いてくるのだが、子ドラゴンは迷うことなくクリーオウのもとまでたどりついた。
ソファに座っていた彼女は、にっこりと微笑んでレキを抱き上げひざの上に乗せた。
頭を撫でてやると、気持ち良さそうにその緑の双眸を閉じる。
しばらくそうしていると、隣に座っていたオーフェンがうらやましくなったのか子ドラゴンののどをくすぐった。
二本の手に同時に撫でられ、レキは目を開ききょとんとクリーオウとオーフェンの顔を見比べる。
彼女はふっと微笑み、子ドラゴンをさらにからかおうとするオーフェンの顔を見やった。
「レキってさ」
「ん?」
話しかけると、彼は子ドラゴンと同じようにすぐにこちらに視線を向ける。
黒い瞳はこちらを映し、真摯に彼女の話を待っている。
「レキって、わたしが付けた名前なの」
「それが?」
「勝手に付けた名前なのよね」
「そりゃ……そうだろ」
クリーオウの言っている意味が理解できないというように、彼は不思議そうに首をひねる。
どことなく独りごちるつもりで、彼女は続けた。
「この子はさ、フェンリルの森で出会った子と違うかもしれないけど、わたしのそばに来てくれたから……レキって呼ぶことにしたの」
「ああ」
「だからってわけじゃないんだけど、前のレキとこの子と、わたしは同じディープ・ドラゴンのレキだと思ってて」
「うん」
何が話したいのか、つかんでいたはずだが途中でぼんやりとしてきて分からなくなってしまった。
いつの間にか逸らしていた視線をもう一度オーフェンに戻す。
彼はずっとクリーオウを見ていてくれたようだった。
深刻な内容ではないつもりだったが、知らずにトーンを落としてしまっていたらしい。
苦笑して、クリーオウはわざと思い出せた結論だけを言ってみせた。
「不思議よね」
「そうだな」
「?」
自然に相づちを打ってきたオーフェンに、今度は彼女が首をひねる。
頭の中で自分の発言を整理してみると、なぜか会話がつながってしまっていた。
正確には完全には一致していないが、どうにかつながってしまったらしい。
「そうじゃないわよ。わたしが言いたいのは……えーと。レキっていう名前はわたしが勝手に付けたのに、この子は自分の名前をレキって認めてくれてるのよね。それが……不思議だなって」
「なるほどな」
理解したというように、オーフェンは腕を組んでうなずいた。
それから彼女のひざの上からレキを取り上げ、腕に抱く。
「俺は何となくわかるぞ」
「なにが?」
今度はクリーオウが話を聞く番である。
返事を待っていると、オーフェンは子ドラゴンの毛並みを撫でつつ、にやりとした。
「名前ってな、名乗る方にも呼ぶ方にも意味があると思う。それに呼ばれた方にも。お前がこいつをレキって呼ぶんなら、こいつはレキが自分のことだって認めることになるんじゃないか?」
「……わかんない」
「あだ名みたいなもんじゃないか?たとえばお前をクリクリって呼ぶ奴がいたとする」
「拒否するわ」
妙なことを言われ、クリーオウは即座に否定する。
それを見たオーフェンは苦笑して、教師がするように軽く手を挙げた。
「あくまで例えなんだから、そこんとこは気にすんな。話を戻すぞ。とにかくクリクリって呼ぶ奴がいたとして、何度も呼ばれてるとお前はそのうち自分がクリクリって呼ばれる度に、お前は自分が呼ばれてるって分かるわけだ」
「じゃあレキって名前は、この子にとってはあだ名レベルなのかしら」
オーフェンの説明はどこか納得できるので、それ故に落ち込んでしまう。
もっとも勝手にドラゴンの名前を決めてしまったのも自分なので、落ち込む権利などないのだが。
けれどレキという響きに反応したのか、子ドラゴンは緑の瞳をこちらに向けた。
それから彼の腕の中で、パタパタとしっぽを振る。
オーフェンもまたフォローするように言葉を繋げる。
「それはこいつしか知らんかもしれないけどな。でもお前が父親からクリーオウって名前を与えられたみたいに、こいつもレキっていう名前が本当の名前になったのかもしれないぞ」
なぐさめているのだろうか。
聞き様によってはなぐさめに思えてきたので、クリーオウはレキの名前のことをそれ以上は考えないことにした。
「オーフェンは?」
「俺がどうかしたか?」
「うん。オーフェンって色々あってオーフェンって名前にしたのよね。だけど今はもう……いいんでしょ?名前をもとに戻すとか……しないの?」
クリーオウには名前がひとつしかないので、そういう感覚はよく分からない。
けれど、彼はオーフェンという名前よりも生来の名前を使ってきた年月の方が長いのだし、今でもその名前で呼ばれることもある。
もしかすると前の名前で呼ばれたいかもしれないと、少しだけ悩んだ。
「俺は……オーフェンだろ?」
そう言う彼は、少し瞳が揺れている。
逆に尋ねられて、クリーオウは戸惑いながらゆっくりとうなずいた。
「お前にとって俺はオーフェンだから、俺の名前もこのままでいい。違う名前で呼ばれた方が、逆に変な感じがしちまうな」
「……うん」
彼がそう思ってくれるなら、それでいい。
クリーオウは深く追求せず、オーフェンの肩に頭をもたせかけた。
レキとの距離も縮まり、黒いしっぽに顔をくすぐられる。
「レキ」
彼女が名づけた子ドラゴンの名前を呼ぶ。
するとそれはしっぽで遊ぶのを止め、彼の腕の中から逃れてクリーオウのもとへやってきた。
会話の続きを待つように、緑色の瞳がこちらを見上げる。
「オーフェン」
「……どうした?」
こちらが彼に寄りかかっているので、呼んでもオーフェンは彼女をのぞき込んだりはしなかった。
代わりに空いた手でクリーオウの頭を包み込むように抱く。
クリーオウが名前を呼んで、それに二人とも答えてくれたことが嬉しかった。
「なんでもない」






(2008.10.18)
クリーオウが「あの人」って呼ぶから。
名前で一本。

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