フィンランディ家の朝は、基本的に静かに始まる。 まず母であるクリーオウが一番早くに起き出し、朝食の準備や家族の出かける用意をしてくれる。 その後は各自がそれぞれ、勝手な時間に動き出すというところだった。 たまに寝坊する人がいれば、時間になるとクリーオウが部屋まで呼びに来てくれる。 そうした安心感もあり、ラッツベインは毎朝ごく穏やかに起床していた。 ――けれど、今朝は違っていた。 誰かの話し声で目覚めるというのはよくあることなのだが、今日はいつもと感じが違う。 あえていうなら不快で、少なくとも気持ちの良い朝の目覚めではなかった。 「ん……?」 ラッツベインは眠い目を擦りながら、上半身を起こす。 寝ぼけていたせいで変な夢でも見たかと思ったが、確かに下の階から話し声がしていた。 やはりいつもより険しい声が聞こえてくる。 オーフェンと、たぶんもう一人はクリーオウだろう。 些細なけんかというより痴話げんかはしょっちゅうある夫婦だが、こんな声は聞いたことがなかった。 会話の内容までは聞こえないが、父が母に怒鳴っているようである。 「……?」 どちらにせよ尋常ではない。 ラッツベインはベッドから降りて、不審顔で部屋を出た。 下へ行くと、キッチンで両親がどちらも険しい顔で言い争っていた。 というより、オーフェンが責めてクリーオウがそれを頑なに拒否しているのだが。 いつもは仲が良すぎる両親なだけに、こういう場面を見ると不安になる。 「どうしたの……?」 ラッツベインは不安げに二人の間に割って入った。 しかし二人は彼女のことを一瞥しただけで、すぐに向き直る。 娘がそばにいるのもかまわず、話を続けた。 「だから、休んでろって!何度言わせんだ」 「大丈夫だったら!」 「大丈夫なわけないだろ、こんな状態で。いいからこっち来い!」 「平気だってば!」 クリーオウは掴まれた手首を引き寄せ、父に背を向ける。 その勢いで、めずらしく無理のある笑顔をラッツベインに向けた。 「ごめんね、ラッツ。すぐ用意するから」 「え……?」 今の会話からすると、クリーオウは体調が良くないのではないだろうか。 ラッツベインは困惑しながら、母が朝食の準備をする後姿を見る。 「ラッツベイン!」 「は、はい!」 オーフェンに厳しい声で名前を呼ばれ、彼女はびくりと肩をすくめる。 クリーオウも同じように驚き、体を硬直させた。 そろそろと父に視線をやると、彼は全身から怒りを発している。 娘の自分でさえ、本当に怖いと感じた。 「お前、母さんがいなくても自分と妹の用意くらいできるな?」 「オーフェン……!?」 父の言葉に、クリーオウは明らかな抗議の声を上げる。 けれどオーフェンは母の意見に取り合うつもりはないらしく、自分と視線を合わせたままである。 何が何だかわからなかったが、ラッツベインはおずおずと正直に答えた。 「……はい、大丈夫です。そのくらいなら」 「ラッツベインも!」 味方がいないと焦ったのか、必死な顔でクリーオウは彼女にすがろうとする。 けれどその顔色が、逆に母の体調が良くないとラッツベインが知るす術となった。 「母さん具合悪いんですか?わたしたちのことはいいですから、休んでてくださいよ」 「でも……」 心配させないように微笑むが、クリーオウは悲しそうにうつむく。 それはオーフェンも気づいているようだったが、冷たく言った。 「だから言っただろうが」 「父さん……!」 休んでもらいたいのも分かるが、この物言いはあまりにもきつくないだろうか。 見かねて、ラッツベインは咎めた。 けれどオーフェンは知ったことがないという風に何もフォローしようとしない。 日常の態度と違いすぎて、ラッツベインは唖然とした。 「クリーオウ」 今度は幾分優しく彼が声をかける。 けれどクリーオウがエプロンのすそを握り締めてその場から動かなかったので、苛立たしげにため息を吐いた。 有無を言わず、クリーオウを肩に担ぎ上げる。 「や……!」 「大人しくしろ」 クリーオウが嫌がっても、離すつもりはないらしい。 彼女もそれを悟ってか、口を引き結んでオーフェンの服を握り締める。 一瞬だけラッツベインと目が合ったが、クリーオウはすぐに目を逸らした。 それは自分の娘が裏切ったからというわけではなく、情けない姿を見られたくないという風である。 青い瞳には涙が溜まっているように見えて、ラッツベインまで泣きそうになった。 ラッツベインが妹を起こし、一緒に朝食を摂っているころ、オーフェンがダイニングに戻ってきた。 不機嫌そうな顔で、無言のまま席につく。 空気がぴりぴりしていて、あまりそばにいたくない。 けれど母の様子が気になり、彼女は思い切って聞いてみた。 「……母さんの様子どうですか?」 「大丈夫なの?」 妹には母の調子が悪いようだと、ごく簡単に説明してある。 フォークをくわえたままの彼女は、心配そうに父を見つめた。 「あんま大丈夫じゃねえな。かなり熱が上がってた」 返事も不機嫌極まりない。 オーフェンはいつもクリーオウのことを話す時はかなり大げさなのだが、今回は本当のことを言っているように感じた。 そうだとすると、余計に母のことが心配である。 「じゃあわたし学校休んで母さんの看病しましょうか?」 「いらん。いいから学校行け」 オーフェンの返答はにべもない。 「でも、つらいようだったらそばにいてあげたいし」 「うんうん」 隣で妹が同意してくれる。 「俺が見てるからいいって言ってんだ。お前らは心配せず行って来い」 「でも父さん、仕事は?」 「ああ、顔出してすぐに戻ってくる。そのくらいなら一人でも大丈夫だろうし」 「けど……」 「まだ何かあんのか」 あくまで食い下がろうとするラッツベインを、オーフェンはわずらわしそうに見てきた。 正直恐いが、負けるわけにもいかない。 ラッツベインはしっかりと父の黒い眼を見つめた。 「わたしは母さんにあんなに冷たくする人には、そばにいてほしくないです」 「冷たいって?父さん?」 妹は今朝の現場を見ていない。 ラッツベインも詳しくは話さなかったので、何も知らない彼女は不思議そうにしていた。 だが、今のオーフェンの雰囲気に何となく気づいているかもしれない。 語気を強くして、ラッツベインは続けた。 「母さん泣いてましたよ?父さんがそれを知らないわけないですよね」 「お母さんが泣いてたの!?」 妹があわてたようにラッツベインの腕を取る。 が、それにはかまわなかった。 目を逸らさないで責めるように彼女がオーフェンをにらみつける。 すると父は、嘆息して決まり悪そうに頭をがりがりとかいた。 「しょうがねえだろ。中途半端に言ったって聞きゃしねえんだから」 「それにしたって限度ってあるでしょう!?いつもは無駄に甘いくせして、今日に限ってあんなに酷いこと言うなんて!」 「俺は酷いことを言った覚えはない。それにあいつが早いことこっちの言うこと聞いてりゃ、優しいうちに終わってたさ」 「…………!」 説明をされても、言い訳にしか聞こえない。 ラッツベインはさらにきつくオーフェンをにらみつけた。 妹がおろおろと父と自分を見比べている。 「いいから早く支度済ませて学校行って来い。邪魔だ」 「なっ……!」 あまりの言い草に、ラッツベインはがたんと席を立った。 今度こそ長い髪が逆立つほど怒り狂い、ラッツベインは父に向かって攻撃用の魔術の構成を編みあげる。 声を出せば終わりというところまできたが、オーフェンはこちらを見ようともしなかった。 父はまったく意に介さず、黙々と食事を口に運ぶ。 「……。行くよ」 妹の腕を掴み、学校へ行くように促す。 本当に腹立たしいが看病はすると言っているので、ラッツベインは何とか自制して一応は引き下がる。 帰ってきたときにクリーオウが泣いていたら、本気で父に戦いを挑もうと彼女は心に誓った。 なぜこんな日に限って学校で全体集会など行ってしまうのか。 ラッツベインは早く帰ろうとしていたが、学校側が勝手に生徒全員の拘束時間を延ばす。 しかも緊急という割にはどうでもいいような親達の苦情処理で、生徒のほとんどが上の空だった。 当然、同じ学校に通っているラッツベインの妹も家に帰る時間が遅れる。 ついでだからと教師達が集団下校まで提案し、いつもより二時間近くも下校が遅れた。 八つ当たり気味に玄関を乱暴に開けようして――思いとどまる。 母が寝ていることを考慮して、静かに家に入った。 家はしんと静まりかえっており、誰もいないのではと訝しむ。 この時間に病院もないだろうと、ラッツベインはなるべく音を立てずに両親の寝室へ向かった。 と、計ったようなタイミングで父が部屋から出てくる。 実際ラッツベインが帰ってきたのに気づいているのだろう――こちらを見ても驚きもしない。 今朝から何だか父の迫力のある場面ばかり目撃してしまう。 「お帰り」 「……ただいま。母さんの具合どうですか」 「寝てりゃ直るが、熱が高い。あんまり騒がしくするなよ」 父は不機嫌ではないが愛想がない。 いつもは必要以上ににやにやしているというのに、今日に限ってこんな父に看病される母が不憫でならなかった。 「母さんは今どうしてるんですか?」 「寝てる。今のうちに夕食作るから、お前も手伝えよ」 それについては異議もない。 素直にうなずくと、妹もそわそわとした様子で家に帰ってきた。 今と同じようなやり取りをして、三人でキッチンへ向かう。 家中がどことなく消沈していて、話は弾まなかった。 三人での夕食後、父は自分で丁寧に作っていたオートミールをトレイに乗せた。 それに水と、医者に処方してもらったらしい見慣れない薬を一緒に運ぶ。 「手伝いましょうか?」 助けを求められたわけではないが、ラッツベインもクリーオウが気になる。 言ってみるが、父はこちらの予想を裏切ることなくきっぱりと頭を振った。 「いい」 「だけど気になるし」 「お前が来ると気が散る」 (どーゆー意味よ) ラッツベインは顔をしかめる。 しかしオーフェンは彼女に取り合わず、自分だけがすたすたと寝室へ向かった。 だがラッツベインも、邪魔者扱いをされたのに腹を立てている。 母の様子も気になることだし、こっそりついて行こうとすると、同じく心配そうな顔をした妹が、彼女の後を追ってきた。 両親の寝室は、やはり両親のものだという感覚が強く、あまり踏み込んだことのない部屋である。 見咎められることを半分覚悟して、そろそろと寝室のドアを開ける。 いったいどんな魔の領域かと懸念したが、他の部屋と同様のクリーオウらしいふわっとした部屋だった。 部屋の真ん中に置かれたダブルベッドに、クリーオウが上半身を起こして座っている。 先ほどは眠っていると聞いていたが、少々うるさくしたので目が覚めてしまったのかもしれない。 「お母さん……」 「しっ!」 妹が嬉しそうにするが、両親に見つかるのは良くない。 ラッツベインはさっと彼女の口をふさいだ。 幸いにも両親はこちらの存在に気づかなかったらしい。 それも無理はないかと思う。 クリーオウは怒ったような泣きそうな表情で、じっと父の作ったオートミールを見つめている。 オーフェンは入口を背に、母に体を向ける形でベッドに腰かけていた。 部屋はそれなりに広いが、小さい声でもどうにか聞こえる。 ラッツベインと妹は、五センチほどの隙間から、中の様子をこっそり伺った。 「食べたくない」 「一口だけでいいから食え。そうしないと薬も飲めないだろ」 「…………」 こういう言い方さえ冷たい気がする。 命令口調ではなく、もっと優しい言い方もあるだろうに。 母も体調が悪いのか、泣きそうな顔のままのろのろとスプーンを口に運ぶ。 食べるのもつらいのか、時間をかけゆっくりと飲み下した。 顔をしかめたまま次の一口のためにスプーンを鍋に戻すが、そのまま持ち上がらない。 それを監視していたオーフェンは彼女の瞳を覗き込む。 「もういいのか?」 それにクリーオウは口を結んでうなずいた。 「わかった」 かなり時間をかけて作っていたはずだが、父はあっさりオートミールを戻す。 それ以上強要することもなく、薬を取り出し水の入ったグラスと一緒に母に差し出した。 「ほら、ちゃんと飲めよ」 今度はまだ優しい言い方だった。 けれど今度はクリーオウがぷいと顔を背け、思い切り反抗する。 「いや!」 「飲・め!」 「苦いからい・や!」 先ほど台所でラッツベインがちらっと見たが、確かにクリーオウの嫌いな粉薬だった。 けれどここまで頑なに拒否する母はめずらしい。 「これ飲まなきゃ良くならんだろ!」 「苦いから嫌!」 子供がだだをこねるようにぶんぶんと首を振ってわめく。 オーフェンは大きくため息を吐くと、彼女の薬を水と一緒に口に含んだ。 何をするのかと疑問に思う間もなく、父は母の頭を抱き寄せる。 (うあ……) いわゆる口移しというやつだろう。 二人きりだと思って、父は堂々といやらしい――この場合どうだか定かではないが――ことをする。 ラッツベインは妹の教育上良くないと隣を見ると、逆に彼女は嬉しそうに顔を輝かせていた。 やはり妹と自分は感じることが違うらしい。 オーフェンはクリーオウから比較的早くに離れると、真っ赤になった彼女に水の入ったグラスを渡す。 クリーオウは大人しくそれを受け取ると、涙目のまま少しだけ飲んだ。 「よし、えらいぞ」 グラスを受け取り、オーフェンが今度こそ本当に優しく彼女の頭を撫でる。 何度も何度も撫でていると、ふいにクリーオウの目から涙がこぼれた。 「もういや。気持ち悪い……」 嗚咽しながら、彼女がオーフェンにしがみつく。 ラッツベインは驚いたが、父は自然に彼女を抱きしめ、慰めるように背中をさすった。 そうすることで逆に耐え切れなくなったように、クリーオウは彼にしがみついたまま泣き始める。 オーフェンはクリーオウをあやすように、細い体を抱いたまま、労わるように体を撫でていた。 しばらくそうしているのに、まだ苦しいのか、彼女はずっと泣き止まない。 その泣きじゃくるクリーオウの姿を見て、ラッツベインは激しくうろたえた。 まさかクリーオウが泣くとは思いもしない。 「お母さん……?」 妹もラッツベインと同じ思いだったのか、不安そうな声で母を呼ぶ。 彼女もまた泣きそうな顔で、寝室のドアを開けた。 それに気づいたオーフェンは、母を抱きしめたまま不快そうにこちらに視線を向ける。 父は母の耳元で何かを囁いてから、まだ泣いているクリーオウを離してこちらへ来た。 「来るなと言っておいたはずだな?」 やや不機嫌な声で言う。 「だって、お母さんが……」 妹が涙目で告げるが、父はやんわりと二人を部屋から出し、後ろ手にドアを閉めた。 「母さんなら大丈夫だ」 「でも、泣いてたよ……?」 オーフェンは苦笑して床にひざをつけ、妹と視線の高さを同じにした。 涙声になっている妹の髪をくしゃりと撫でる。 「今は熱が高くて訳がわからなくなってるだけだから」 「苦しそうだった」 「ああ。だから父さんが一緒にいてあげたいんだ」 「うん……」 「父さんは母さんのところに戻るけど、もう二人で大丈夫だな?」 「はい」 まだ不安そうな妹の代わりに、最後はラッツベインが答える。 自分達ではきっと、そばにいても役に立たないだろう。 母が甘えられるのはたぶん父だけだから、この人がそばにいれば大丈夫だ。 二人がうなずいたのを見ると、オーフェンはふっと笑い彼女たちの頭をぽんぽんと叩いた。 じゃあなと言って、再びクリーオウのいる寝室へ戻っていく。 ラッツベインもそれを見届けてから、すぐ隣の妹の手を引いた。 「お母さん、早く良くなるといいね」 「そうだね」 表情は暗いが、母の体調はすぐに治るだろうとわかっているのでそんなに悲観的でもない。 数日後には、きっとまた元気な笑顔を見せてくれるだろう。 父に任せれば安心だと、彼女たちは母の看病を全面的にオーフェンに譲ることに決めた。 (2008.10.10) いつも私はオーフェンはクリーオウのことすっごい好きだー!と 軽−く書いてますが、よくよく考えるともっと好きなんじゃないかと。 私の思ってるくらいでは足りないのではないかと思いました。 じゃあ本当に好きなんだって分かる話を書かないとって思ったところ、こうなりました。 今さらオーソドックスな風邪ネタ。 しかもいつもとほとんど変わんねーじゃねーかって? HAHAHA!いやいや、そんな事はないのです、自分的に。 私はクリーオウのわがままとかつらさをしっかりと受け止めてくれるオーフェンさんが書きたかったので、OKなのです。 でも、もっと大切に見えるように書きたかったですね。最初怒ってたのも・・・たぶん愛(えー)? まだまだ修行不足です。 |
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